激戦を忍ばせる「血川と血原」
I:さて、合戦が終わった後の姉川を、信長が怒りとともに見据えていました。このシーンで姉川の戦いが激戦であったことを想起させてくれます。
A:この時、姉川は兵たちの流した血で真っ赤に染まったといいます。姉川に平成まで「血川」という支流があって合戦の凄惨さが伝承されてきましたし、今も血原公園などがあって当時の激戦を伝えてくれます。そんな地名が残るくらいですから、よっぽど川が赤く染まったのでしょう。
I:現代人が見たらびっくりするほど赤かったのではないですかね? 山梨県には武田滅亡に関連して三日間も川が血に染まったという「三日血川」という川がありました。兵らが流した血で赤く染まった川というのは、見る人に強烈な印象を残すのかもしれないですね。
A:『サライ』で連載していた「半島をゆく」では、神武天皇東遷伝承に基づく「血原(奈良県宇陀市)」を取材したことがあります。神話の世界の話ですが、実際にその場にいくと、「これは実際にここで戦いがあったに違いない」と感じさせてくれる不思議な「磁力」を感じたものです。
I:そういう場所で当時の人々に思いを馳せると、無念の叫び声が聞こえてくることもありますよね。
働き盛りの家康と浜松。出世城の異名
I:さて、今川氏真との戦いを経て、遠江は徳川領になっていました。三河、遠江2国の領主です。これまでの拠点の岡崎では西に偏りすぎです。それで信長から引間(曳馬)に拠点を移すことを勧められるという流れになりました。このくだり、けっこう重要な場面ですよね。
A:桶狭間の時に清須城を拠点にしていた信長は、小牧山城を経て、この頃は岐阜城に転じていました。自らを取り巻く情勢に応じて拠点を移すことを躊躇しない。これが信長の先進性を示すともいわれています。さらに信長は引間(曳馬)から改名するべきと家康に進言します。信長も「井口」を「岐阜」と改めたばかりですからね。
I:劇中、家康は岡崎にこだわっていましたが、上杉謙信もずっと春日山城ですし、武田信玄も躑躅ヶ崎館から拠点を移していません。まだこの時期は信長だけが先走っていたのかもしれないです。そして、引間(曳馬)を浜松と改称するエピソードでは、瀬名の発案という設定でした。
A:浜松は29歳から45歳の働き盛りの家康が拠点にした「家康の聖地」。多くの合戦で浜松から出陣しています。江戸期には、浜松城主から出世する大名が多かったということで、「出世城」の異名も持ちます。
I:天保の改革を主導して歴史教科書でもおなじみの水野忠邦も浜松城主から出世して老中に昇り詰めたんですよね。忠邦は、本作にも登場している水野信元(演・寺島進)の水野家の流れを汲む大名です。
井伊虎松が登場!
I:なんだかんだあって、家康は岡崎から約70km離れた浜松に移ります。酒井左衛門尉が入った見付(磐田市)を拠点にすべく築城を始めていたようですが……。
A:対武田との戦いのことを考えて、見付では武田軍に攻め込まれた際に背後に天竜川があるので、防衛が難しいということで天竜川から西に位置する引間(曳馬)に変更したようです。もともと今川方の城がありましたし。
I:領民らが、〈今川様を裏切った殿様じゃ〉〈お田鶴さまを殺した殿様じゃ〉とひそひそ話をしていました。そして、第11回でお田鶴(演・関水渚)に団子を売っていた老婆が再登場して、家康に石入りの団子を食わそうとしました(笑)。
A:柴田理恵さん演じる老婆ですよね。まさかの再登場に噴き出してしまいましたよ。そして、家康の身を襲う新たなキャラクターが登場しました。あの襲撃の場面、1980年の『風神の門』の家康襲撃シーンを思い出してしまいましたよ。
I:「おお、ここでこういう感じで井伊直政の登場ですか」って感じです。演じている板垣李光人さんは『青天を衝け』で徳川昭武を演じて好評だった方ですね。それにしても美しい。これでいわゆる「徳川四天王」が出そろいましたね。「松潤家康」もどんどんたくましくなってきていますし、ますます次週が楽しみな展開になってきていますね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり