文・写真/角谷剛(海外書き人クラブ/米国在住ライター)
写真提供:コービー島田(映画監督)
東京都中野区の映画館『ポレポレ東中野』(https://pole2.co.jp/)で4月29日からある作品が公開される。東南アジア諸国で12年間に渡って医療ボランティアを行ってきた大村和弘医師の活動を追ったドキュメンタリー映画である。
作品名の『Dr. Bala』は大村氏のニックネームだ。Balaとはビルマ(ミャンマー)語で「力もち」を意味する。
1年に1週間、自分が情熱を注ぐことをやり続ける
Dr. Balaこと大村氏のボランティア活動方法はユニークだ。普段は日本の大学病院で医師として働き、その専門分野では第1人者として認められている。その一方で、年に1回、自分の夏休みを利用して1週間ほど東南アジアへ行き、現地で医療活動を行い、そして日本の進んだ医療技術を現地の医師に伝えるといった活動を12年間続けてきた。今も続いている。
最初は右も左も分からないミャンマー、カンボジア、ラオスなどに1人で赴き、日本とは生活環境も医療事情もまったく異なるなかで孤軍奮闘してきた大村氏だが、そうした活動を地道に続けるうちに様々な人との繋がりが生まれてきた。現地での理解者が増えただけではなく、大村氏の志に賛同し、行動を共にする日本の医療関係者も出てきた。映画『Dr. Bala』には大村氏だけではなく、そうした多くの人たちが登場する。
作品の核となるテーマのひとつは「ボランティア」だ。この言葉には他人や社会を助けるというイメージがつきまとうが、本来の意味は「自発的に」何かを行うことである。だれかに頼まれたわけでもなく、ましてや命じられたわけでもなく、自分の時間を何に使うかを自分で選ぶことだ。
大村氏の情熱と行動力に感銘を受けるだけではなく、あるいはそれ以上の熱量で「自発的に」大村氏を追いかけ続けたのが、『Dr. Bala』を監督したコービー島田氏である。
米国カリフォルニア州ロサンゼルス在住のコービー監督は、大村氏が日本から東南アジアを訪問するたびに、重い撮影機材を抱えて、ときには数10時間ものフライトを乗り継いで現地で合流し、そして自費での撮影を続けてきた。
筆者は2023年2月にロサンゼルスで行われた上映会で『Dr. Bala』を初めて鑑賞した。上映の後には質疑応答も行われ、大村氏とコービー監督の2人と直接言葉を交わす貴重な機会を得た。念願としていた東京での上映を控えたコービー監督にあらためて話を伺ってみた。
コービー監督インタビュー
──大村氏のことを「カズ」って呼んでいるのですね?
コービー「そう、元々、彼とはラグビーを通して知り合った友人なのです。僕が所属しているロサンゼルスのラグビーチームにカズが入ってきたのがきっかけです。その頃カズはUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)に短期留学していました。まだボランティア活動を始める前のことです。
カズが2007年からミャンマーで活動を始めて、その頃に現地から手紙をくれました。最初にインタビューを撮影したのは2008年でした。そのときは長編映画を作るつもりはなくて、もっと短いドキュメンタリーを考えていたのですけど」
──それからしばらくして、コービーさんも東南アジアに毎年行くようになりました。ロサンゼルスからはずいぶん遠いですよね。
コービー「そうですね。とくに僕はできるだけ安いチケットを探しますから(笑)、どうしても乗り継ぎが多くなります。手荷物は最大23kgを2個までって制限があるのですが、いつもギリギリでした」
──現地に着いてからも撮影は大変だったでしょうね。
コービー「実際の医療現場ですので、もちろん撮影には気は使いました。でもカズは現地のお医者さんたちから絶大の信頼を受けていますし、患者さんたちからは命の恩人だと感謝されている。ですから、皆さん、私が撮影することも快く承諾してくれました。そういう意味での苦労はありませんでした。
病院以外の撮影で印象に残っているのはカンボジアの子どもたちです。インパクトの強いシーンを撮ろうとすると、どうしても貧しい地域に行くことになります。子どもたちは明るく撮影に応じてくれたのですが、僕にはどうしても彼らを利用しているような気がして、申し訳ないなと感じてしまったのですね。せめてもと思って、案内をしてくれた人に頼んで、撮った写真をあとで子どもたちに配ってもらいました。そうしたら、子どもたちが集まって、お礼の写真を僕に送ってくれました。すごく嬉しかったな」
──『Dr. Bala』中の最後のエピソードは2019年。作品が完成したのは2022年ですので、3年経っていますね。
コービー「作品にも出てきますけど、2019年にミャンマーを訪問したときに、カズがボランティアを始めた頃に知り合った人たちとの再会がありました。そのときに、いったん区切りをつけるタイミングだと感じました」
──それから『Dr. Bala』の編集に入られたのですね。データは膨大な量だったのではないですか?
コービー「正確な数字は分かりませんけど、僕が撮りためていたデータとカズが持っていたデータを合わせたら、たぶん1,000時間以上はあったと思います。でも映画はできれば1時間半以内にしたかったので、編集作業はやっぱり大変でした。ちょうどパンデミックで他の仕事ができなかった頃なので、じっくり時間をかけて編集に集中できたのは不幸中の幸いでした。それでも2年以上かかってしまったのですけど」
──最近またカンボジアに行かれたそうですね?
コービー「はい、4年振りでした。カズも僕もパンデミックで渡航できませんでしたので。だけど、その間にカンボジアのお医者さんたちの技術が格段に進歩していたことに驚きました。パンデミックの前から、カズはずっとリモートでの技術指導を行っていたのですけど、そうした地道な活動が実を結んでいるのでしょうね。カズはこのときカンボジア国王から最高位の勲章を受賞しました。カズが目指しているのは“現地の医師が自国の患者を治療できる様に彼ら、彼女らに技術と誇りを手渡す”ことです。それが認められたのだと思います。
今回カズに同行した人の中には、ラグビーの選手もいました。医療以外の分野でも僕ら日本人ができることってきっとあると思います」
──どのような人に『Dr. Bala』を観てほしいと思っていますか?
コービー「自分が何をしたいのか分からないって思っている人は、今すごく多いと思います。1年のうち1週間でもいいので、自分が情熱を注ぐことをやり続ける、この映画がそんなきっかけを作れたらと思います。学生さんとか若い人たちはもちろんですけど、心が若い人なら何歳でも(笑)」
『Dr. Bala』公式ウェブサイト日本語ページ:https://www.kobypics.com/drbala/jp
文・角谷剛
日本生まれ米国在住ライター。米国で高校、日本で大学を卒業し、日米両国でIT系会社員生活を25年過ごしたのちに、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。日本のメディア多数で執筆。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)会員。