江戸幕府の禁制で、戦国時代の人物を実名で芝居に登場させることはできなかった
現代の時代劇でも人気が高い戦国武将。今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』しかり、毎年のように「本能寺の変」や「関ヶ原の合戦」、「大坂夏の陣、冬の陣」がドラマ化されている。その度に、織田信長、明智光秀らのキャスティングが話題になっている。江戸時代の芝居も、戦国時代を舞台にした数多くの狂言が書かれ、人気を博してきた。
もちろん江戸時代は幕府の禁制で、戦国時代以降の人物を実名で芝居に登場させることはできなかった。それでも当時の戯作者たちは、織田信長を尾田(小田)春長、明智光秀は武智光秀と、すぐにその人とわかる名前で芝居に登場させている。
『絵本太功記(えほんたいこうき)』は、寛政九年(1797)に版行された人気読本を脚色した時代物。近年では、謀反人となった光秀と、その一族の悲劇を描く十段目「尼崎(あまがさき )の段」の上演がほとんどだが、文楽で通し上演されると、発端や初段に登場する信長(春長)の暴君ぶりが面白い。
現代では、旧弊を打ち破った革新的な武将という評価の信長だが、江戸時代の人々にとっては、やはり冷酷な主君、残虐な印象が強かったよう。光秀は春長が世の人々に「悪逆の勇将」「鬼の再来」と言われていると諫言(かんげん)し、「仁義の大将」となるよう繰り返し進言する。しかし、それが春長に光秀の謀反心を疑わせ、本能寺の変を招くという物語になっている。
宝暦七年(1757)に初演された『祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)』は、当初は『祇園祭礼信長記(ぎおんさいれいしんちようき)』の狂言名だったという信長の一代記。しかし、信長が活躍する段は現在上演が途絶えている。ちなみに、『絵本太功記』の初段に、安土城に妙国寺から移植した蘇鉄(そてつ)が、「妙国寺へ帰らん、帰せ帰せ」と震動する逸話が出てくるが、堺市堺区の妙国寺境内には、今もその蘇鉄が見事に息づいている。
文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。