読書家で鷹狩好き、自ら薬を調合した天下人の知られざる素顔
読書を好み、書の普及に尽力した家康は、鷹狩を愛し、調薬を手がけるなど、多様な顔を持つ武人だった。江戸時代260余年の泰平の世の礎を築いた天下人の人物像を振り返る。
「自分で薬草を育て、薬研で自ら調剤していた健康オタクでした」
徳川家康は75歳の長寿を全うした。長寿の秘訣は彼の「健康オタク」にあったと、NHK大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を務める静岡大学名誉教授の小和田哲男さんは語る。
「駿府では薬草園を開いています。自分で採取し、薬研(やげん)ですりつぶして、丸薬も作っている。調子が悪いとその丸薬を飲んでいた。家臣にも分けていたようです」
家康の長寿は、結果的に日本に260年もの間、戦争のほとんどない時代をもたらした。
「家康は新田開発や河川の改修も積極的に進めています。そのおかげで、人々が食べていける時代となった。江戸時代には人口がほぼ2倍になっている。いまの日本の基礎を作ったのは、間違いなく家康といえます」(小和田さん)
折戸ナスと八丁味噌
家康ゆかりの静岡県には、家康が好んだ食材がいまもある。そのひとつが、静岡市清水区の折戸ナスだ。家康に献上したところ「これは美味」と喜んだという。
JAしみず南部営農センター三保営農拠点の望月星輝さん(23歳)を訪ねた。
「折戸ナスは明治時代に栽培が途絶えますが、平成17年に地元の生産者とJAほかの関係者が復活させました。三重県の国の研究機関に種が保存されていたのです。きめ細かな肉質で味は濃厚です。煮崩れしないので、いろいろな料理に応用できますよ」
家康の好みを伝えるという諺「一富士、二鷹、三なすび」は折戸ナスだったのかもしれない。
家康は岡崎城(愛知県)で生まれた。岡崎では、家康が好んだとされる豆味噌がいまも製造されている。江戸時代初期より岡崎城から西へ八丁(約870m)の八丁村(現・岡崎市八帖町)で造られた豆味噌は地名に因み「八丁味噌」と呼ばれるようになった。
老舗の合資会社八丁味噌を訪ねた。当主は代々早川久右衛門と名乗っている。ロゴマークが四角に「久」と書くところから屋号はカクキューという。企画室の早川ちかこさんは語る。
「日本の多くの味噌は大豆と米と塩を原料とした米味噌ですが、八丁味噌は大豆と塩だけで造る豆味噌です。八丁味噌には〈メラノイジン〉という褐色の成分が含まれています。抗酸化作用があり、食物繊維のような働きもするようです。健康保持の強い味方ですね」
家康はおそらく経験的に豆味噌の効用を知っていたに違いない。
解説
小和田哲男さん(静岡大学名誉教授・78歳)
立ち寄り処
カクキュー八丁味噌(八丁味噌の里)
愛知県岡崎市八帖町字往還通69
電話:0564・21・1355
営業時間:9時〜17時(見学コースは10時〜16時)※詳細は要問い合わせ
休業日:年末年始
入場料:無料
交通:名鉄名古屋本線岡崎公園前駅、愛知環状鉄道中岡崎駅から徒歩約5分
取材・文/田中昭三 撮影/宮地 工
※この記事は『サライ』2023年2月号より転載しました。