岐阜城(岐阜県岐阜市)。織田信長は美濃国を獲得すると、それまであった楽市を踏襲する。楽市があった加納は現在岐阜駅近くの地である。 出典:『経済でわかる日本史』

歴史を動かす原動力はさまざまですが、お金をめぐる人々の行動をフォーカスしてみることで、人間の生き方が見えてきます。お金をめぐる人々の心情や行動から歴史を掘り下げるムック『経済でわかる日本』(宝島社)から、織田信長の経済政策をご紹介します。

監修/横山和輝(経済史家)

信長は前例を無視する破壊者ではなかった

六角定頼像(滋賀県東近江市)。近江国の守護だった六角六角定は先進的な手法で統治を行い、楽市をはじめたことで観音寺城下を一大商業都市に成長させた。 出典:『経済でわかる日本史』

織田信長といえば、常人には思いつかない戦術を思いつき、革新的・先進的な経済政策を行ったイノベーターとしてのイメージがある人も多いことだろう。

実際に尾張国の小国からスタートした信長は急激に勢力圏を伸ばし、中部から畿内地方を掌握した。当初、信長は室町幕府を庇護した存在だったが、その後、15代将軍足利義昭を追放したことで室町幕府は滅亡する。一方で近年では、朝廷、特に正親町天皇と強く結びつき、伝統を重視する新たな信長像が知られるようになってきた。

信長の経済政策といえば、「楽市楽座」のイメージがあるが、楽市楽座は信長がはじめたものではない。鎌倉・室町時代、座に属した商工業者が本所(主君)である寺院や神社などに売上の一部を座公事として貢納する必要があった。これに対して、売上税を考慮せず、自由な営業・販売を許された区域、すなわち楽市を設定してさまざまな商工業者を領国内に呼び寄せることを、各地の戦国大名がはじめる。

この楽市を最初にはじめたのは信長ではなく、近江国(現在の滋賀県)を支配した六角定頼である。定頼は天文18年(1549)に楽市令を出すが、これが楽市の最初の事例として知られている。楽市や楽座を行った戦国大名には定頼の他に今川氏真などがおり、織田信長以前に楽市をはじめた戦国大名は複数存在している。

楽市では、売上税がない点ではフリーマーケットと同じであり、そのままでは戦国大名に直接の利益を生まないが、戦国大名は楽市の利用料金を徴収した。さらにこの楽市のシステムを一歩進めて領国内での座の活動を制限する戦国大名も現れるようになった。ただし、全国的にネットワークを持ち、神社仏閣のバックアップがある座を積極的に解体することはほとんどなかった。

戦国大名は、領国内での座の行動を制限する代わりに、自らが運営する独自の座を新たに結成していくようになった。例えば信長は、領国内の商工業を育成する目的から、商工業者の行動を制限するために独自の座を結成させている。信長が設置した薪座は、身分証となる薪座株を持つ材木商にのみ岐阜の城下での営業を許可するものだった。その意図としては、無許可での材木・竹林の伐採を禁止すること、すなわち森林資源を守る規制の意味もあった。

信長統治前から岐阜城下に楽市があった

観音寺山城(滋賀県近江市)。六角定頼の居城だった観音寺山城の城下に楽市が置かれた。 出典:『経済でわかる日本史』

織田信長の楽市楽座は、自身が立ち上げから執り行った政策ではなく、むしろ既存の楽市を認めるかたちでスタートしている。永禄10年(1567)、信長は斎藤龍興が治める美濃国(岐阜県)を戦の末、手に入れる。稲葉山城は岐阜城とあらためられ、その岐阜城から少し離れた加納という地に次のような内容を記した制札を掲げた。

これは信長がはじめて出した楽市令としてだけでなく、現存最古の楽市令の制札として知られている。制札は木製の掲示板であり、この制札が人々に壊されない限り領主の命令を人々が了承したことを意味した。この信長の制札の内容は次のようなものである。

「定めます。楽市場の皆さん。こちらの市にお越しお住まいになる皆さん、どうかお気兼ねなく往来なさってください。どなたかに何かお支払いすべきものがあったとしてもこちらではご心配いりません。以前からお住まいの方々、ご新規の方々とトラブルを起こさないようにお願いします。押買狼藉と喧嘩口論は禁止です。なお、私どもの家来は理不尽なことはしませんし、宿をとるなどのご迷惑なこともいたしません。以上、お守り頂けない方は速やかに厳罰に処します、お知らせの件ご承知おき下さい。永禄十年十月」(横山和輝 意訳)

この楽市令は宛名が「楽市の皆さん」となっていることから、加納の地が信長統治以前からすでに楽市だったことがわかる。この制札は、織田・斎藤家の戦闘が終結を宣言したことを、楽市の商工業者たちに伝えるためのものだったのである。

信長は、加納での楽市令の経験を踏まえて、のちに近江国の金森(滋賀県守山市)や安土城城下においても楽市令を出している。その際には、交通の要所である金森の特徴をふまえた政策や、安土での商人の自治組織の活動に権限を与えるなど応用度の高い政策をとっている。先人から学んだ優れた経済政策である楽市楽座を踏襲した上で、アップデートしたのである。

ちなみに戦国大名は楽市や楽座、破座などと称していたが、これらはいずれも、商業に関しての縄張りを宣言する意味で、戦国大名の地域PRが目的だった。

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横山和輝(よこやま・かずき)
1971年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(経済学)。一橋大学経済学部助手、東京大学日本経済国際共同研究センター研究員を経て、現在、名古屋市立大学大学院経済学研究科教授。専門は金融論、経済史。著書に『日本史で学ぶ経済学』(東洋経済新報社)、『マーケット進化論』(日本評論社)、『日本金融百年史』(筑摩書房)がある。

 

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