レーベル病という難病のため視覚障がい者となり、大好きな家族や野鳥の姿を自身の眼で捉えにくくなってしまったガジュマルさんこと磯部陽樹さん(39歳)。発症後は幾度となく絶望感に苛まれる試練を乗り越えてきた。そんなガジュマルさんにとって、カワセミは勇気を振り絞って出かけた市内の公園で、久しぶりに撮影できた野鳥だ。そして、撮影を再開してから巡ってきた冬のある日、今度はカワセミの狩りの場面の撮影に挑戦したい、と、先輩カメラマンと共にあるスポットへ出かけたのだった。
20,000分の300枚(カワセミ)
いつもお世話になっている先輩カメラマンが、カワセミが“飛び込みまくる”スポットを教えてくれた。その話を聴いてからずーっと行きたかったのだが、2022年の正月に左肘の前斜走靭帯を損傷し、超望遠レンズの手持ち撮影が難しく、断念していた。
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息子も撮影に行きたい気持ちをこらえて待ってくれ、靭帯が回復傾向となったので、ようやく2月最初の土日に、念願の飛び込みスポットへ挑んだ。
しかし、マイナス2℃となった早朝の小川は水が固く凍っていた。これではカワセミは飛び込めないので先輩は倒木を使って氷を砕いてくれ、カワセミの飛び込み方や撮影の仕方も、優しく教えてくれた。
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まだ陽が当たらない河原の冷たい岩に腹ばいになり、カワセミの飛び込み撮影を開始。これが、面白くて、寒くて、泣きそうになった。
カワセミは飛び出しの高度を上げて勢いよく飛び込んだ。
冬の厳しい寒さでは、魚は深いところにいるのだろう。水しぶきと共に
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「ドボン!」
「バチン!」
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静かな朝に、強く響く音。
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飛び込みの勢いに似合わず、くわえて戻るのは小さな魚ばかりだった。だから、何度も、何度も、飛び込む。本当に、何度も、何度も、何度も。
撮影は、朝早くから夕方まで、続いた。私も止まらず、カワセミを追いかけ続けた。さながら「飛び込み千本ノック撮影」だ。結果、2日間で2万枚を超える撮影枚数となった。
膨大な撮影枚数になったのはカワセミの飛び込み回数だけが原因ではない。
「600mmの超望遠レンズで綺麗に写したい!」
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そんな私のこだわりがあったからだろう。
撮影については、いつも気にかけてくれる仲間からアドバイスも頂いていた。短めのレンズで遠くから撮って、後でトリミングする。短めのレンズなら、カメラを上下左右にふらなくてもカメラのAF機能でピントの合った飛び込み写真が撮れる! これなら簡単だよー、と。
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私の眼のことを理解してくれているからこそ確実に撮れる方法を教えてくれたのだとわかる。
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だが私は極力撮影時にベストな写心に近づけたい。できるだけトリミングしない選択をしたかった。眼が見えていたころよりも自分の器、つまり可能性を広げ続けるためだ。
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前に進むと決めた自分の選択が、普通なら無理だと言われる選択だっただけだ。
頭ではわかっている。私の眼ではできるわけがない。
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それでも心が思ったんだ。
「綺麗に写したい!」
それこそが原動力だ。
頭でわかっていた「できない」という現実は最初からつきつけられた。最初の飛び込み50回は、カワセミすら写っていない。それでもひたすら連写した。くじけそうになりながら、カメラの設定を何度も変更するなど、たくさん工夫した。
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見えなかろうが、カワセミが少しでも動いたらカメラを上下左右に動かさなければならない。カワセミを追い続けなければならないレンズを大事に抱えつづけた。
想像通りの困難はあったが、カワセミは何度も何度も飛び込んでくれるので飛行経路がわかってくる。そのほか得られる情報は全て取り入れる。
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「ドボン!」の音の場所
止り木の位置関係
周りのカメラマンのレンズの角度・振り方
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そして、
私に残された視力
“ファインダー越しにカワセミらしき黒くぼんやりした影が動いているようだ……”
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といった情報も大変貴重だ。
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撮影場所に固執せず、足元がよく見えないから移動が怖い、とためらうことなく、撮りやすそうな場所を積極的に探して頑張った!
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2日間、400回にも及んだカワセミの飛び込みにひたすら食らいついた!
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さて、撮れ高はというと、撮影した2万枚のうちピントが合っていたのは300枚。数字だけを見ると、失敗ばかりと感じるかもしれないが、カメラ(EOS R3)とロクヨン(600mm f/4レンズの略称)がものすごく頑張ってくれたので、自分が想像したよりずっとたくさん撮れた!
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とってもとっても嬉しい300枚となった。
写真と写心の言葉/磯部陽樹
1983年(昭和58)、沖縄県生まれ。中学校時代、自分の生きる環境に疑問を感じ、単身渡米。米国でシステムエンジニアとして働きながら、「千年先に心を遺したい」と、独学で写真撮影を始める。2018年、国の指定難病であるレーベル遺伝性視神経症を発症。中心部視野60%を喪失、色盲症状のほか、全身的な神経症状によりカメラを持てない時期を経る。改善の見込みなく身体障害者1級認定。退職を余儀なくされるが、システムエンジニアとして復職を果たし、2021年に写真撮影を再開。インスタグラムで作品を発表するようになる。視覚障がいを想像させない写真のクオリティと撮影エピソードに込められた思いが静かな共感を呼んでいる。ガジュマルさんは写真のことを「写心」と呼ぶ。
構成/中村雅和