取材・文/山内貴範
鹿児島県内2件目の国宝
今年2月、鹿児島県に2件目の国宝が誕生した。霧島山の中腹に境内が広がる、霧島神宮の社殿である。県内では照国神社が所蔵する「太刀 銘国宗」に次ぐ、実に58年ぶりの国宝誕生となった。そして、建築では初めて指定された国宝である。
霧島神宮の歴史は、6世紀中ごろ、欽明天皇の時代まで遡るとされる。現在地に移転されたのは文明16年(1484)のことだが、社殿はのちに焼失。江戸時代中期の正徳5年(1715)に薩摩藩第4代・島津吉貴によって建立された本殿・拝殿・幣殿が、国宝に指定された社殿である。
本殿と拝殿は、本来であれば別個の社殿として造られるのが一般的だ。ところが、霧島神宮はこの2棟を幣殿という建築でつないで、一体化させた造りなのだ。
今年で築300年以上を経た社殿が、国宝になった決め手はいったいどこにあったのだろうか。今回、権禰宜の上牧瀬章洋さんの案内で、特別に本殿を間近で参拝させていただいた。
竜が巻き付く華美な本殿
杉並木に囲まれた参道の正面に、霧島神宮の社殿が連なっている。普段、参拝客が参拝を行うのは、勅使殿である。こちらも極彩色で彩られた彫刻が豪華なのだが、こちらは国宝ではなく、あくまでも重要文化財である。
勅使殿の奥、登廊下を登った先に立つ極彩色の建築が、国宝の拝殿だ。拝殿の中に入ると、その奥に本殿がある。なお、幣殿とは拝殿と本殿を結ぶ廊下のような建築である。
薄暗い中に、赤、青、緑に塗られた立体的な竜の彫刻が見える。なんと、これは本殿の柱なのだ。柱に勇壮な竜がぐるりと巻き付いている。こんな社殿、今までに見たことがない。上牧瀬さんがこう解説する。
「竜柱といい、日本でも鹿児島周辺など、限られた地域でしか見られない極めて地域性の高い意匠です。沖縄の首里城正殿の前にも竜柱が置かれていますよね。この装飾は、沖縄や中国の影響を受けていることが指摘されています。同様の竜柱は霧島神宮と同じタイミングで重要文化財に指定された鹿児島神宮など近隣の神社にも見られますが、霧島神宮はもっとも立体的であり、鮮やかで、完成度が高いといえます」
鹿児島ならではの地方色の豊かさ
霧島神宮の社殿はしばし“西の日光”と称されるが、確かに、装飾性が高い点では日光東照宮に近い雰囲気といえる。
しかし、比較してみるとその違いが際立つ。日光東照宮は本殿・幣殿・拝殿に、隙がないほど彫刻で埋め尽くされ、そのどれもが立体的だ、対して、霧島神宮はどうだろう。拝殿は彩色こそ華やかだが、装飾は意外にも平面的で彫刻は抑えられている。しかし、その奥にある本殿には、著しく凹凸の激しい彫刻がこれでもかと言わんばかりに充満しているのだ。本殿の威厳と存在感を際立たせる演出といえよう。
国宝と言えば、慈照寺銀閣や、姫路城大天守、出雲大社本殿など、いわば日本建築の主流に位置する建築が多く指定されてきた。ところが、近年は霧島神宮の社殿のように地方色の豊かな建築が注目される例が相次ぐ。お隣、熊本県にある青井阿蘇神社もまた、この地方に多く見られる茅葺き屋根の社殿の典型例として指定されたものだ。
社殿の配置も霧島神宮の特色である。上牧瀬さんが言う。
「もともとあった斜面の高低差を生かして社殿を配置しています。本殿がもっとも高い位置にあるので、遠くから見ても存在感が際立っていますよね。こうした演出もまた、霧島神宮独特のものです」
地域の信仰が息づく国宝
撮影をしていると、巫女がお供えを下げに来た。聞けば、毎日欠かさず、本殿にお供えをしているという。こうした毎日の祭礼が続いてきたことによって社殿が守られているのだと実感できる。
近年、江戸時代の建築の評価が進みつつある。先日も新たに、富山県高岡市にある勝興寺の本堂と大広間及び式台の2棟が国宝に答申された。こちらも霧島神宮と同じ1700年代の建築である。江戸時代は戦乱がない時代が続き、建築技術も高まりを見せたことから、大規模で煌びやかな建築が目立つ。そうした華やかさに目が行きがちだが、地域の人々の信仰が息づくことで守られている点にも目を向けると、国宝観賞が一層楽しめるはずである。
霧島神宮
住所:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
電話:0995・57・0001
開館時間:8時~17時(本殿は通常は見学不可。年に2~3回公開)
休館日:無休
料金:無料(本殿拝観時は別途料金が必要)
交通:JR霧島神宮駅からタクシー約10分