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声に出しては言わないけれど、「大好きで大好きでたまらないもの」「どうしても止められないもの」がある人は意外といるのではないでしょうか。人であったりモノであったり、何かに対して強い愛情や執着心を持ち、そこにどっぷりと浸る日々を送ることは、幸せであると同時に苦しみが伴うことがあります。
そんな「沼」にはまっている人々をリアルに描く、沢木文さんの著書『沼にはまる人々』から、「服沼」をご紹介します。

文/沢木文

スタイリストとパーソナルスタイリスト

明子さん(40歳)は、服好きが高じて、パーソナルスタイリストとして活動している。集客はSNSが中心で、ここ5年ほど活動しているが、月収は20万円を超えているという。

そもそも、パーソナルスタイリストとはどのような仕事なのだろうか。

「その前に、プロのスタイリストとの違いをお話しします。雑誌やテレビなどで活躍するスタイリストは、タレントさんやモデルさんに最も似合う最新の服をコーディネートして着せる仕事。高価な服はスタイリストさんが信頼と関係性を積み上げているから、貸し出してもらえます。そして撮影や出演が終わると、着終わった服は返却します」

テレビ番組やドラマ、映画の最後に「衣装協力」としてブランドのロゴが掲載される。それを見た人が、「あのタレントの着た服が欲しい」とブランドに問い合わせれば、スタイリストの価値は上がる。ブランドからすると、著名人に直接服を着せるのは、広告になる。広告は数百万円以上のコストがかかる。しかし、スタイリストは自分からリースに来てくれて、それを著名人に着せてくれる。ありがたい存在にほかならない。有名人から指名があるほどの実力があるスタイリストはブランドから崇め奉られる。

そして、ブランドは彼ら彼女らに「ギフティング」として現物を送る。「私の“師匠”は有名スタイリストだったので、ギフティングの嵐でした。事務所の床には10万円以上のバッグや服が放置されていました」

スタイリストになるには服飾専門学校などを卒業後、師匠について、月10万円程度の賃金をもらいつつ、朝から晩まで働かねばならないという。その下積みの期間は約2年間。ここで膨大な量の服を見て、師匠のコーディネートのバランスを会得する。2年ほどついて歩いていれば、ブランド、編集者、映画監督、プロデューサー、タレントなどに顔が売れて、仕事の声がかかるようになるという。

「でも、独立まで行く人は少ないし、続けられる人はさらに少ない。それは仕事があまりにもきついから。私は血尿が出て半年で辞めてしまいました。3日間寝ないで“値書き”という商品リストをつくったり、リースや返却に駆けずり回っていましたから」

派遣社員をしつつ服代は月20万円

そんな思いをしても、「服が好きだ」という気持ちは消えなかった。

「スタイリストになるのは無理だと実家で泣いているときも、定期券を買って新宿のデパートに通っていました。毎シーズン変わる服、新しい素材、服に込められた歴史や哲学、ボタンの1個、プリーツのひとつにまで意味がある。それを人間が着ることで初めて意味が生まれる。とにかく私は服が大好きなんです」

しかし、アシスタントを辞めることは、スタイリストの業界からの永久追放を意味している。アパレル関連で販売員として働くには体力も気力もない。結局、派遣社員をしながら35歳まで過ごした。

「実家に住んでいるので家賃も生活費もかかりません。アシスタントを辞めたのが21歳の頃ですから、そこから
14年間、毎月25万程度の給料のうち20万円を服に費やしていました」

その額は、単純計算して3360万円だ。借金は一切していない。

「アクセサリーや時計、バッグは100万円近くするモノもありますから、お金はいくらあっても足りませんよ。結婚するまで、家には300枚以上の服と、50足以上の靴とバッグがありました。

「結婚できる」コーディネート

20代の頃は、服をたくさん持っている明子さんのところに、友達が「服を貸してほしい」「デートの前にコーディネートしてほしい」とやって来たという。

「最も多かったのが、『結婚できるコーディネートを考えてほしい』というオーダーでした。私も友達に幸せになってほしいので、その子に似合う服を考えて貸すようになったのです。御礼として、お菓子などを受け取っているうちに、『これがお金になればいいのにな』と思った。そのとき『パーソナルスタイリスト』という職業があることを知りました」

パーソナルスタイリストとは、個人向けにスタイリングを提供するスタイリストのこと。メディアの世界で活躍するスタイリストと最も大きく異なることは、ブランドからのリースをしないこと。

「信頼を積み上げなくてもいいので、すぐに開業できるんです。私はインスタに『婚活コーデ』みたいな内容をアップして、『依頼はDMで』と書き、それを地道にアップし続けたら、10日目くらいから依頼がチラホラと来るようになりました」そこからは、口コミで「あっという間にすべての週末と平日の夜が、副業で埋まった」とのことだ。

「服が持つ力」を広めたい

明子さんが開業した頃は、パーソナルスタイリストが「何となく認知されている」という状況だった。ただ、経営者の男性やハイキャリアの女性たちが人前に出る際の、服のスタイリングをすることがメインだった。

「カウンセリング、買い物同行、スタイリング指導が主な仕事で、1時間1万円がギャラの目安でしたね。さらに、買い物に同行したら、買い物額の10%を受け取るという人もいたんですよ。私は服が持つ力を適正価格で広めたいと思いました」

服は「TPPO」(Time・いつ/Place・どこで/Person・誰と/Occasion・何をするか)によって無数にバリエーションがある。選ぶ服がいつも一緒でスタイルがマンネリになっている人向けのアドバイスも考えたが、そういう人は美意識が固定されている。以前、友達の買い物のアドバイスをしたときに、「あんたが似合うって言った服、全く着ないまま捨てたよ」と言われた経験もある。

ファッションセンスに自信がないという人も同様だ。服はさまざまなパターンを試すから似合う服がわかる。センスに自信がないというのは「変える気持ちがない」ということでもある。

そこで、明子さんは婚活に特化する。料金は1時間5000円。そこで、依頼人が最も似合う服を1コーディネートつくるだけにした。

「服が好きで、毎日のように百貨店に行き、駅ビルや古着屋まで見ています。しかも、派遣社員で働いているから、“フツーの人”の金銭感覚とファッションの感覚がわかるんですよね。スタイリストの批判をするわけではありませんが、雑誌に掲載されているのは、夢のような世界。現実世界であんな服着ていたら浮いてしまう。女性誌を見ていると、トレンチコートにサングラスをかけてハイヒールを履く颯爽としたモデルが出てきますが、あの服を、普通の人が着ていたらギャグですよ」

そもそも普通の人はモデルのようにスタイルがよくない。服の沼にはまると、身長が高い人にはこういうワンピース、マニッシュな人にはパンツスーツなんだけれど優しい感じの服など、いろんなことがわかってくる。

夫はお客様

そうして、「人を幸せにする婚活スタイリスト」を1年間続けていたら、自分が結婚することになった。
夫はシステム関係の会社の経営者だった。婚活服をアドバイスした客から「この人もカッコよくしてあげてください」と紹介されたのだという。

「彼は服に敬意を持って扱うところがいいと思いました。服を見かけるとすぐにベタベタと触り、興味もないくせに布をこすり合わせたりする人がいるんですが、私はあれが大嫌い。彼はそういうことをしないのがいいなって」

明子さんは結婚後も、パーソナルスタイリストとして活動を続けている。

「服は深いです。夫のスタイリングをするようになり、スーツの歴史を調べたら16世紀の英国の乗馬スタイルまでさかのぼる。スーツが異常にカッコいい映画も見まくりました。例えば『007』シリーズや『グレートギャッツビー』や『裏切りのサーカス』など。服は深いですよ。私は死ぬまで、服沼にはまり続けます」

ゼロからイチをつくる新しいビジネスを立ち上げることを「ゼロイチ」という。明子さんは服の沼にはまったことで、新しい価値や概念をつくり、提供した。料金体系を整え信頼を積み重ねているのだ。

「夫からはメソッド化して、広めればと言われるのですが、この仕事は服沼にハマらないとできないんです。普通の人は服ってよほどのことがないと変えない。だから、スタイリストの『好き』とか『あなたは絶対にこれが似合う』という信念のようなものが必要になる。それって裾野が広がるものでもないんですよね。これからもこぢんまりと依頼を受け続けていこうと思っています」

* * *

『沼にはまる人々』
沢木文 著
ポプラ社

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沢木文(さわき・あや)
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。ブランドと外見が至上とされる価値観に疑問を持ち、「幸福、自由、欲、富、快楽のゴールはどこにあるのか」をテーマに取材活動を行う。担当する特集で、お金、恋愛、結婚、出産、教育などを深堀りし続けている。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 Webサイト『FRaU』(講談社)、『Domani』(小学館)、教育情報メディア『みんなの教育技術』(小学館)などがある。『東洋経済オンライン』(東洋経済新報社)、『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。


 

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