子供ができなかった源実朝は、奇想天外の策を思いつきます。後鳥羽上皇の親王を将軍に推戴(すいたい)し、後継者問題を解決するとともに、幕府の権威を高めようと考えたのです。

この構想は後鳥羽上皇側にも、鎌倉の御家人たちにもメリットがあったため、プロジェクトは実現に向けて着々と進んでいきます。かくして、この構想実現のために、源実朝の官位もどんどん上がり、ついには右大臣に昇ることになるのですが……。

教養動画メディア「テンミニッツTV(https://10mtv.jp/lp/serai/)」では、坂井孝一先生の講義「源氏将軍断絶と承久の乱(全12話)」を配信しています。このうち「源実朝の真実」に関する4話をピックアップしてご紹介しています。今回は、第3話「源実朝の奇策…後鳥羽上皇の親王将軍推戴構想」です。

なお、第1話では「源実朝の『政(まつりごと)と和歌』の真実」を、第2話では「源実朝は、なぜ『唐船』を建造したのか」を、第4話では「源実朝暗殺事件…黒幕説の真相」を深掘りしていきます。

以下、教養動画メディア「テンミニッツTV(https://10mtv.jp/lp/serai/)」の提供で、坂井孝一先生の講義をお届けします。

講師:坂井孝一 (創価大学文学部教授/博士《文学》)
インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)

奇想天外の「親王将軍」推戴構想

坂井 このように、非常に将軍権力は増大しているのですが、(唐船により)はっきり言うと、少しケチがつきました。ここをなんとか乗り切らなければいけません。

そのために源実朝が打ち出した奇想天外の策があります。これは同時に、子供が生まれなくて後継者がいなかった実朝の解決策としては、いろいろな意味で名案だと言えるものです。

後継者に源頼家の血を引く者や、源氏の他の一門などではなく、自分と非常に関係の深い後鳥羽上皇の親王をもらってこようというものです。

親王は格が高いですから、それを将軍として推戴(すいたい)する。親王は鎌倉のことも、武士の政権のことも、何も知りませんから、実朝が補佐する。そういうかたちで後継者問題を解決し、幕府の権威も高めようという策を、おそらくは建保5(1217)年の末に実朝が打ち出したと思われます。

同じ建保5年の4月に唐船の進水に失敗しています。その後、この策を練り、かつ有力御家人たちの首脳部に伝えたのだと思います。

――本当に直後というお見立てですね。

坂井 そういうふうに私は考えています。後継者については、建保5年の時点で(実朝は)26歳になっていますから、御台所と結婚してすでに13年ぐらい経っています。

それで子供ができていないこと自体が当時としては非常に不思議であるし、実朝は「妾(しょう)」と呼ばれた側室をとりませんでした。おそらく御台所が後鳥羽上皇のいとこであるということが関係していると思います。後鳥羽上皇と非常に親密な関係にあるにもかかわらず、側室をとるということには、やはり、はばかりがあったのでしょう。

「女人入眼」…日本では事柄を最後に成し遂げるのは女性

坂井 さらに、本来であれば上皇のいとこと自分の血を継いだ者が次の将軍になるべきであって、源頼家の子供ではない、ましてや他の源氏ではない、というふうに考えていたはずなのです。しかし、子供ができないのは、しょうがないことです。

ということで、(親王を将軍に推戴するというのは)奇策と言っていいですよね。そして、反対は、なかなかしづらいわけです。親王が来るということは、幕府の権威が極めて高まることになりますから。

それで、建保6(1218)年1月に政所で審議があります。ちゃんとした公的な立場ではありませんが、実の母であり、源頼朝の後家である政子が「交渉に私が行きましょう」と、上洛することが決まります。

大江広元も、朝廷に実朝の官職のことなどについて、「将軍家の意向はこうなっていますから、お願いします」という使者を出したりする。北条時房も、政子に付いて上洛する。そのようなことがありまして、後鳥羽上皇の乳母のような位置にいて権力を持っている「卿二位」という女性と政子が、女同士の交渉を成功させます。

『愚管抄』を書いた慈円などは、「日本という国は、事柄を最後に成し遂げる(目を入れる)のは女性である。そういう国なのだ」という意味で、「女人入眼」という言葉を使い、「女人入眼の本当の国になった」というようなことを『愚管抄』に何カ所も何回も書いていますが、これもまさに「女人入眼」の結果だと思います。

北条義時はというと、あまり表には出てきていません。勅使が来たときに饗応したりする程度です。彼が反対の立場だったのか、それとも仕方がないと思って支持していたのか、そのあたりは史料的にはなかなか位置づけづらいところがあります。しかし、もうそのプロジェクトは動いていますから、後鳥羽上皇のほうも卿二位を介して実朝の提案を快諾するようになります。プロジェクトはそのまま、建保6年の間にどんどん推し進められるのです。

「親王将軍」プロジェクトへの三者三様の思い

坂井 親王を補佐するということになると、その補佐役である源実朝の官位をどんどん上げておかないといけない。当時すでに実朝は権大納言になっていましたが、源頼朝を超える左近衛大将になり、それから内大臣、最終的には12月に右大臣にまで、後鳥羽上皇の意向で昇進することになります。

――すごい勢いで昇進していますよね。

坂井 すごい勢いです。後世、実朝が暗殺されたことにより承久の乱が起こりますから、後鳥羽上皇は実朝を身分不相応な官職に就けて、呪詛したのではないかという俗説が生まれます。これを「官打(かんうち)」と言いますが、そんなことは全然ありません。

後鳥羽上皇は親王を鎌倉に送り込むことによって、大きなメリットを得ることができるのです。幕府を遠隔操作するのが、実朝ではなく自分の息子を通じてできるようになるからです。

実朝の側としては親王を戴くことになると、幕府の権威は段違いに上がりますし、自分は将軍職を退きますから自由に上洛することができるということで、メリットがあります。さらに御家人たちからすると、親王を通じて今度は逆に京都の朝廷のほうに自分たちの意向を直接伝えることも可能になってくる。

このように三者三様、別々の思惑があるのですが、それらが一致して、親王を将軍にしようということになるのが、親王将軍のプロジェクトだったのです。

――すべてが丸く収まるプロジェクトだったということですね。

坂井 そうですね。もちろん、思惑は微妙にずれているのですが、すべてが丸く収まります。ですから、どんどん進められて、後鳥羽上皇という非常に権力のある治天の君(政務の実権を握る上皇)の意向で、誰も反対することができずに実朝が右大臣まで昇った。そういうことですから、絶対に「官打」ではないわけです。

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協力・動画提供/テンミニッツTV
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