文/池上信次

ビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィス、ウェス・モンゴメリーなど、ビッグネームの「掘り起こし」音源が近年多くリリースされています。歴史的価値や珍しさなどその聴きどころはさまざまですが、掘り起こし以前に、既発表やときには発売中にもかかわらず「知られざる名演音源」というものもあったりします。その「知られざる」理由はさまざまですが、ひとつの例としては「音楽作品」ではないこと。レコードやCDという音楽メディア以外は、なかなか音楽作品として紹介されませんし、店頭でもジャズのコーナーに置かれませんので(そしていつしか忘れられてしまう)。

その具体例としては「映像作品」があります。こんな作品はご存じですか? タイトルは『日本〜空からの縦断 Part2』(発売元:電通)で、初リリースは1990年。当時、環境ビデオとかBGVと呼ばれていた、風景や自然を撮影・収録した映像ソフトのひとつです。オリジナルのメディアはレーザーディスク(ここではそれをもとに紹介します)。帯にあるキャッチコピーの、「動く日本地図」「高度1万フィートにカメラをセット、(中略)5千km空の旅。刻々と変貌する大自然、都市のかたち、日本列島を体感する80分」そのままの空撮映像で、A面は九州の西、福江島から始まり、日本海の海岸沿いに新潟まで北上するひとつながりの映像。B面は八丈島から日本アルプス、佐渡、津軽海峡を経て根室へという内容です。

が、本題はもちろんそこではなく、その音楽。なんとキース・ジャレットが担当しています。この種の作品では多くが「有りもの」を使っていますが、ここでは書き下ろしの楽曲を演奏・録音しているのです。曲名は「エアリアル組曲(Aerial Suite)」。演奏メンバーはキースのピアノとパーカッションと、息子のガブリエル・ジャレットのパーカッション。ガブリエルは当時17歳でこれが親子初共演。ジャケ裏にはガブリエルがタブラの前に座っている写真があります(ガブリエルはその後ドラマーになりました)。録音は1989年9月12日、13日、ニューヨークとクレジットされています。

この作品は、ほとんどのキース・ジャレットのディスコグラフィーには載っておらず、ジャズ系メディアでもあまり紹介されてこなかったので、知らない方も多いと思いますが、ファンならぜひチェックしておきたいものです(なおレーザーディスクはCD同等のデジタル・サウンド収録です)。


キース・ジャレット『パリ・コンサート』(ECM)
演奏:キース・ジャレット(ピアノ)
録音:1988年10月17日
パリ・オペラ座で録音されたピアノ・ソロ・ライヴ。キースのソロの代表作にあげられることも多い名演。

キースはこの前年の1988年10月には『パリ・コンサート』(ECM)を、89年1月には八ヶ岳高原音楽堂で『ゴルトベルク変奏曲』(ECM NEW SERIES)を録音していました。そして『日本〜』の録音直後の89年10月にはスタンダーズ・トリオでヨーロッパをツアーし、『トリビュート』(ECM)を録音するなど絶好調の時期。映像作品のBGMとはいえ、キースが手を抜くはずもなく、『日本〜』には素晴らしい演奏が収録されています。

演奏は「組曲」とあるようにいくつかのパートに分かれており、違いもそれぞれ大きいので、あらかじめ用意されているモチーフもあるようですが、全体の印象としてはほとんどがキースの(いつもの)ソロ・ピアノ・インプロヴィゼーションです。そこにガブリエルのパーカッションがかぶさったりかぶさらなかったりという構成です。キースのソロ・ピアノにパーカッションが加わる録音はほかにはありませんので、とても新鮮です。ふたりのパーカッションのみの長いパートもあります。そもそもスタジオで録音されたキースのソロ・ピアノというだけでも、数が少ないだけに貴重な記録といえるでしょう。

ライナーノーツの、音楽についての短い説明には「リテイクなしで録音」と記されていますが、2日間の録音ですので、多くのインプロヴィゼーションからベストのパートを選んで「組曲」としてまとめたものでしょう。映像全編に渡ってのBGMなのでA面35分、B面45分(CDなら2枚組ですね)たっぷりとキースの演奏が堪能できます。

1976年に日本の5都市で素晴らしいソロ・ピアノ・インプロヴィゼーションを残したキースですが(『サンベア・コンサート』。第32回で紹介)、率直にいって、ここでは映像とピアノはまったく合っていないと感じます(日本列島の、季節感がない、おそらく夏の快晴の空撮映像にぴったりフィットする音楽なんてそもそもあるのかな?)。最初から映像のBGMという口実で作った、キースのソロ作品に思えてしまうほど。このコラムのために何度も観直しましたが、現在の目に空撮映像はまったく新味はなく(Google Earthのせい?)、気がつくと映像は観ず、音楽だけを聴いてました。

で、気がついたことがひとつ。この映像作品は「キースの声が小さい!」のです。キースの即興演奏ですから、例によって唸り声も入っています。でも、いつもよりかなり小さくて目立たないのです。映像メインのBGV作品ですから、(映像の邪魔をするであろう)声の録音レベルを抑えたということなのでしょう。でも、このレベルでも「あり」と考えると、ふだんの盛大な唸り声はあえて大きく入れているのかな? とも思ったり。

なお、この作品は2000年に『日本〜空からの縦断 Part 2 主に日本海岸及び太平洋日本海横断ルート』のタイトルで、マルチアングルやズームなどの機能が付加されてDVD化されました(販売元:ポニーキャニオン)。現在は販売終了になっていますが、キースのファンなら探す価値のあるいい演奏ですよ。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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