はじめに-墨俣川の戦いとはどんな戦いだったのか

源氏と平氏が繰り広げた源平合戦(治承・寿永の乱)。戦いの中盤以降、次第に滅亡へと向かう平氏方が勝利を収めた戦いがありました。それが「墨俣川(すのまたがわ)の戦い」です。この戦いはなぜ起こり、どのように進められたのでしょうか。今回は「墨俣川の戦い」を取り上げ、関わった武将や戦況、結果などを解説していきます。

目次
はじめに-墨俣川の戦いとはどんな戦いだったのか
墨俣川の戦いはなぜ起こったのか?
関わった武将たち
この戦いの戦況と結果
墨俣川の戦い、その後
まとめ

墨俣川の戦いはなぜ起こったのか?

平氏が富士川の戦いで源氏軍に敗れると、反平氏の動きは拡大し、美濃、近江などでの反乱の挙兵が相次ぎました。それらの反乱を制圧した平氏は、さらに頼朝の叔父・源行家(ゆきいえ)が進出したとの報を得て、再び出陣しようとします。

しかし、養和元年(1181)2月4日、平清盛が死去したことで出撃は一時中断されると、東国源氏は勢を得て京へ攻め上ります。その源氏を迎え討つため、平家は清盛の子・平重衡(しげひら)を総大将として、軍を派遣します。そして3月10日、両軍は墨俣川(=現在の長良川、岐阜県大垣市)を挟んで対峙しました。こうして始まったのが「墨俣川の戦い」です。

関わった武将たち

墨俣川の戦いに関わった、源平の主な武将をご紹介しましょう。

源氏方

・源行家

頼朝の叔父。尾張、三河の軍勢を率いて戦った人物。

・義円(ぎえん)

頼朝の異母弟。この戦いにて追討軍に討たれ、27歳で亡くなりました。

平氏方

・平重衡

清盛の子で、総大将を務めた人物。

・平維盛(これもり)

清盛の孫。通盛(みちもり)・忠度(ただのり)らとともに墨俣川の西岸に陣を張った。

この戦いの戦況と結果

養和元年(1181)3月、源行家と頼朝の弟・義円が率いる尾張、三河の軍勢と、平重衡以下の平氏軍とが、川を挟んで東西に対陣します。双方の兵力は『延慶本平家物語』では平氏軍3万騎、源氏軍6千騎と記されていますが、『玉葉』では源氏軍5千余騎とあります。いずれにしても歴然とした兵力差がありました。

行家は墨俣川を渡って敵陣に紛れ込んで、平家に夜襲を仕掛けようとしましたが、服が濡れた源氏軍の様子を見て、平氏に気づかれてしまいます。重衡の兵が源氏軍を襲うと、行家の軍勢は突然の攻撃にうろたえるばかりでした。

兵力で勝る平氏軍への先制攻撃は失敗に終わり、源氏軍の大敗北となってしまった。この戦いで源氏は、義円や尾張源氏・源重光(しげみつ)といった一門を失います。行家は辛うじて三河国(=現在の愛知県東部)の矢作川辺まで落ちのびましたが、多くの死者を出して大敗を喫したのでした。同時にこの戦いは平氏方に、久方ぶりの勝利をもたらすこととなりました。

合戦の結果は、行家率いる源氏軍の大敗北でした。その敗因としては、行家と義円で先陣を争った指揮系統の乱れ、また源氏方が低湿地を背後にして戦ったため機敏な退却ができなかったことなどが考えられています。

墨俣川の戦い、その後

敗北を喫した行家は、鎌倉の頼朝に所領を求めたものの認められず、関係が悪化し出奔。やがて木曽義仲(よしなか)と結び、最期は源頼朝と対立した源義経と運命を共にすることになります。

一方、平氏は勝利したもののそれ以上東へ進みませんでした。その要因として、頼朝の援軍への警戒、後白河法皇と宗盛の反乱軍への追討方針の齟齬、そして何よりも飢饉による兵糧の不足などが挙げられています。そのため、平氏は反乱鎮圧の主眼を畿内、西国へ向けるようになったのでした。その後、平氏が北陸の反乱勢力を討つために軍を派遣したことで「俱利伽羅峠の戦い」へと繋がっていきます。

ここまで解説した「墨俣川の戦い」は源平合戦で治承・寿永の乱の一つでした。しかし、この他にも墨俣川付近では歴史上、数々の戦いが行われています。この地は古代には東海道と東山(とうさん)道を結ぶ美濃路が通じ、16世紀末まで木曾・長良・揖斐(いび)の三川が合流していました。さらに美濃と尾張の国境で、軍事上の要衝地であったため、たびたび東西勢力がぶつかる戦場となったのです。

例えば、承久3年(1221)の承久の乱では、京方の軍が墨俣での防衛戦に敗退。戦国期、織田信長方の木下藤吉郎(豊臣秀吉)が墨俣に一夜城を築き、斎藤軍を撃退します。また、小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦では、秀吉方の軍と徳川家康軍とが対峙しました。

まとめ

源行家軍と平重衡軍が対戦し、平氏が勝利を収めた「墨俣川の戦い」。しかし、この後西国の飢饉などの影響もあり、戦況は再び源氏の優勢へと傾くことになります。約6年間にわたる源平合戦はこうした戦況の変化が面白さを生んでいるともいえます。一つ一つの戦いの詳細を知ることで、その流れを的確に捉えることができるのではないでしょうか。

文/豊田莉子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

 

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