源頼朝は治承4年(1180年)、以仁王の令旨を受けて挙兵。いよいよ治承・寿永の乱(源平の戦い)に乗り出すことになります。

前編で見てきたように、源頼朝が挙兵できたのは、北条政子と結ばれたことによって北条氏という「家族」を得たことが大きく寄与していました。

しかし、源頼朝の挙兵が順風満帆だったわけではありません。よく知られているように、石橋山の合戦では手痛い敗北を喫し、安房国(千葉県南部)に落ち延びることとなります。

このとき、北条政子も伊豆山権現にかくまわれました。まさに生きるか死ぬかの境地に陥ったのです。しかし、この経験も北条政子を大きく成長させることとなります。

北条氏という、比較的規模の小さな武士団に生まれた北条政子は、東国武士たちの心をよく理解し、汲み取ることができました。さらに、源頼朝の身近にいたことで死地をくぐり抜けるような経験も積み、多くのことを学んで、大きく成長していったのです。かくして北条政子は、東国武士たちのあいだでカリスマ的な存在になっていきます。

そのような激動の経験を数多く積んで成長していったのは、北条政子の弟・北条義時も同じでした。

かくして政子、義時、さらにその父である時政という3人の「傑物」が揃った北条氏は、鎌倉幕府内部の権力闘争を勝ち抜いていくことになるのです。

1話10分で学ぶオンライン教養動画メディア「テンミニッツTV」(イマジニア)では、今回の大河ドラマの時代考証を務める坂井孝一先生が、「10分でわかる『鎌倉殿と北条氏の関係』」という講義をされています。今回お送りする後編では、北条時政・政子・義時というキャラクターが際立つ3人について概説いただきます。

※動画は、オンラインの教養講座「テンミニッツTV」(https://10mtv.jp/lp/serai/)からの提供です。

坂井孝一(さかいこういち)
1958年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。現在、創価大学文学部教授。専門は日本中世史。平安末期・鎌倉初期の政治史・文化史、室町期の芸能史を主な研究テーマとする。著書に、『鎌倉殿と執権北条氏』(NHK出版新書)、『源氏将軍断絶』(PHP新書)、『承久の乱』(中公新書)、『源頼朝と鎌倉』『曽我物語の史的研究』(以上、吉川弘文館)、『源実朝』(講談社選書メチエ)など多数。愛猫家。

坂井孝一先生

頼朝の挙兵で北条一族が揃って命を落してもおかしくなかった

坂井先生 ただ、(頼朝が)そのまま伊豆国にいるということでは、(やがて源家も)滅びてしまいます。そこで、かねて協力の密約を取り付けていた三浦氏という非常に大きな武士団と合流するため、相模国のほうへ移動します。

しかし、そこには当然のごとく平家方の武士が待っているわけです。その衝突が「石橋山の合戦」というもので、頼朝側は大敗します。下手をすれば、このとき頼朝も時政も義時も命を落としてもおかしくありませんでした。実際、義時の兄の宗時はこの合戦で命を落としています。危機的な状況に陥った頼朝軍は、命からがら船で房総半島に逃れます。

そこで待っていた東国武士の間には、かねてから平家の抑圧に対する不満が一定程度広まっていました。そうして、平家方に反発する人たちがどんどん頼朝の味方になっていきます。それが雪だるま式にふくらんで、頼朝に味方する武士が増えてくるわけです。

したがって、最初の挙兵のときに時政たちが頼朝に加担しなければ、そういう成功には至らなかったのです。ということで、北条氏の役割はきわめて重要であると考えることができます。

――まさに最初の火種になったというところですね。

坂井先生 そうですね。

御家人たちの心を捉えるカリスマ性を獲得した北条政子

――その後は皆さんご存じのように、平氏を倒し、さらに奥州の藤原氏も倒していくわけですが、規模として小さかった北条氏が、その後どうやって鎌倉幕府の中で生き残っていったかをお聞きしたいと思います。

坂井先生 はい。これはやはり政子の力が、何といっても一番大きいのです。頼朝は征夷大将軍になり(1192年)、その後、急死して職を終えてしまいます(1199年)。それでも、当時「後家」と呼ばれた未亡人・政子は、源家の家長の地位を継いでいきます。

さらに、自分の産んだ子どもである頼家を2代将軍にしますが、頼家も横死してしまうため、弟の実朝を3代将軍に据えます。頼家、実朝の両方が政子の実子ですから、彼女の地位は特別なものなのです。

さらに義時はその政子の弟です。したがって、東国武士の中における彼らの地位が頼朝や2代目・3代目の鎌倉殿(将軍)であった人たちときわめて近い関係にあったということが、何といっても一番重要な要因として働いたと思います。

――はい。

坂井先生 そして、次のことなども歴史の不思議だと思われます。

北条氏の時政、政子、義時は、それぞれタイプの違う傑物でした。時政は若干おっちょこちょいなところがあり、調子に乗ると失敗してしまう傾向がありました。

政子は頼朝の妻としてともに人生を送っていく中で、どんどん成長していきます。義時は頼朝の政治のあり方や手腕を最も身近に見て学んでいきます。この姉と弟は、そのことにより政治家として非常に大きく成長していくわけです。

他の東国の武士たちには相当大きな一族・一門を持つ武士団もありましたが、鎌倉殿との近い関係や政治的な能力、駆け引きの能力が物を言いました。

政子と義時が同時代の他の武士たちとは比べものにならないような優れた駆け引きの力を持っていたのは、「なぜ」と聞かれても答え難い、歴史の偶然だと思います。

――特に頼朝が亡くなった後、御家人の間で相当激しいつぶし合いによる粛清が行われていきますが、そこでも北条氏が勝ち上がっていきます。そのように勝ち上がれた一番の原因はどういうところなのでしょうか。

坂井先生 一つは情勢分析の正しさといいますか、少し悪い言葉でいうと、相手の弱みも含めて自分の味方にするにはどうすればいいかといった手練手管にずば抜けたものがあったということです。それは特に義時に見られます。

もう一つ、政子が大事だという話を強調してきましたが、彼女にはカリスマ性があったということです。一種の傑物であったのは間違いないところだと思われます。

本来はありふれた東国武士の娘だった彼女ですが、頼朝に寄り添っているうちに内側に持っていた才能を開花させたのだと思います。

もともとは割と情に厚い、普通の東国武士の娘でしたが、開花した才能と情の厚さが相まって、御家人たちの心を捉えるカリスマ性を持ったのでしょう。したがって、たとえ義時に反発するようなことがあっても、政子の言うことなら聞くということで、政子は東国武士たちにそのような影響力を与えることができたということです。

――― ぜひ、そのあたりのことを詳しく、このあとの深掘り講義でうかがっていきたいと思います。

坂井先生 ありがとうございます。


協力・動画提供/テンミニッツTV
テンミニッツTVでは、さらに「北条氏と鎌倉殿」について坂井孝一先生に深掘りしてお話しいただく講義が配信されていきます。話題の「八重(演:新垣結衣さん)」の実像も詳しく解説。初回登録時は31日間無料視聴できますので、是非ご覧ください。https://10mtv.jp/lp/serai/


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