セオドア・ルーズベルト大統領と会談した渋沢栄一(演・吉沢亮)。

第39話では訪米した栄一(演・吉沢亮)がセオドア・ルーズベルトと引見した。劇中ではあっさり描かれた米国漫遊は実は約5か月の長旅だった。

* * *

ライターI(以下I):劇中では描かれませんでしたが、栄一(演・吉沢亮)の訪米は兼子夫人(演・大島優子)同伴だったようですね。横浜を5月15日に出港してサンフランシスコ着が5月30日。約5か月にわたってアメリカ各地のみならず、欧州諸国を巡って横浜に戻ったのが10月31日です。船の旅とはいえ、第一線で働く経済人としては、いまでは考えられない長期の旅になりました。

編集者A(以下A):サンフランシスコからシカゴ、ピッツバーグ、フィラデルフィアを経由して、ニューヨーク、ワシントンに移動してルーズベルト大統領(演・ガイタノ・トタロ)と会談するわけです。そしてニューヨークからロンドンにわたって、ベルギー、ドイツ、フランス、イタリアなど欧州各国をめぐったようです。

I:兼子夫人も同伴だったわけですから、なんとも優雅な旅程です。各国の領事などが案内役を務めていますから大規模な旅行だったんでしょうね。さすが、「日本の金融王」と称されるだけのことはあります。

A:栄一の年譜を見て驚かされるのは、欧米漫遊に向かう栄一に対する送別会の多さです。4月8日の帝国ホテルでの送別会を皮切りに5月12日までの間に23日も送別会が開催されたことがわかります。桂太郎首相主催、井上馨主催や経済団体主催の送別会のほかに深川区有志主催、さらには渋沢喜作主催の日もありますね。しかも昼夜梯子の日が4日間もあります。およそ2週間の船旅を前に連日の送別会行脚。栄一のパワー恐るべしです。

I:劇中では若々しく演出されていますが、この年、栄一は62歳。経済界の大物ではありましたが、昼夜問わず多くの送別会が催されるとはなんだか牧歌的ですよね。

A:この年は、日英同盟が結ばれた年。日本も一等国としての地歩を固めつつありました。ルーズベルト大統領との引見が実現しましたが、他国の民間人とのそれは異例の出来事だったと伝えられています。これは、ルーズベルト大統領が「親日的」だったこととも無縁ではないでしょう。栄一との会談も功を奏したのかどうか、後半の日露の講和条約の際にはルーズベルト大統領が両国の仲介の労をとります。

I:栄一と大統領の会談から約40年後に両国が戦火を交えるとはこのとき思いもよらぬことだったと思います。しかも日米開戦から終戦までの間で大統領だったフランクリン・ルーズベルトは栄一と引見したセオドア・ルーズベルトと遠縁の関係になります。日英同盟を結んだ明治35年からの歴史をしっかり概観したいですね。『青天を衝け』の物語は残り3話ですが、明治、大正に何が起こったのか学び直したいですね。

小村寿太郎とポーツマス条約

戦争と経済について語る栄一。

A:長旅を終えて帰国すると、今度は日露の危機が待っていました。清国が弱体化したのを受けて、ロシアが朝鮮半島を虎視眈々と狙っていた。朝鮮半島をロシアに抑えられたらたいへんな事態になるという局面でした。この時の首相は桂太郎ですが、劇中では登場せず、もっぱら伊藤博文、井上馨らが登場していますね。〈韓国をロシアに渡すわけにはいかない。隣国の日本こそがその独立を助けるべきだ。韓国が豊かな国に育てばロシアや西洋の脅威に対抗できる〉という台詞は端的にわかりやすくこの時の状況を示してくれました。

I:日露戦争戦闘の様子は挿入されませんでしたが、講和会議の全権である小村寿太郎(演・半海一晃)が登場しました。栄一より15歳も若いのですが、やけに老けた感じの演出でした。小村は飫肥藩(宮崎県日南市)出身の俊英で、日英同盟締結にあたった人物です。

A:飫肥城は「日本百名城」のひとつで雰囲気のあるお城です。小藩ながら、城下町の佇まいも風情があります。飫肥藩主家の伊東氏は、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で登場する伊東祐親を輩出した伊東家の後裔という名門で、長期にわたって薩摩の島津氏と対峙してきた歴史があります。小村寿太郎と日露講和会議を材にした『ポーツマスの旗』はNHKで1981年にドラマ化されていて、石坂浩二さんが小村寿太郎を演じました。同作では日露戦争中にロシアの革命勢力を援助した明石元二郎も登場していますが、ぜひもう一度みたいドラマのひとつですね。

I:日露講和では伊藤博文が派遣した金子堅太郎らもルーズベルト大統領と交渉しました。まさに挙国一致の戦争でした。ところが、それ以上戦争を継続する国力がなかったのですが、それを国民にオープンにすると、ロシア国内の戦闘継続派を勢いつかせるのでそれもできない、ということだったようですね。

A:幸いなことに、明石元二郎の工作が実ったのかどうかはわかりませんが、ロシア国内で反帝政の動きが大きくなっていました。1905年には「血の日曜日事件」が起きていますし。そのため、ロシア側でも戦争継続に消極的でした。そうした部分も描写してくれたらよりわかりやすかったのだと思いますが、まあでも、この部分は「青天を衝け」で尺をとるよりも『ポーツマスの旗』を再放送してほしいですね。

明治維新の最大の功労者は徳川慶喜なのか?

I:劇中では、慶喜の公伝編纂が進んでいきます。栄一が勝海舟のことを嫌っていたのは有名で、慶喜の帰京を阻んでいたのは海舟だと思い込んでいたようですが、その海舟も明治32年に亡くなりましたから、弊害はなくなっていたということです。

A:栄一の掲げるコンセプトは、「慶喜こそ維新の最大の功労者」というもの。劇中もそうしたトーンで進行しています。確かに、慶喜が新政府軍との戦いを選択しなかったことで、政権交代がスムーズに進んだことは否めません。あのまま戦いが続いていたら泥沼の内戦が何年も終わらなかったかもしれない。徳川慶喜の功績といっていいかもしれません。ただ……。

I:(引き取って)あまりにも急進的な変革になってしまいましたから、その弊害も大きかったということですよね。

A:はい。そういうことになるのですが、栄一らの求めに応じてさまざまな証言を遺した慶喜ですが、鳥羽伏見の戦い後のことなど、核心部分についてははっきりしたことを言っていません。文字通り墓場まで持っていった。そこは謎のままです。

I:徳川慶喜の幕末の行動については謎の部分が多く、旧幕臣からも批判する声が多かったのは事実です。徳川宗家の当主徳川家達も「慶喜さんは徳川を滅ぼした人、自分は徳川家を再興した人」と公言していたそうですから、シビアな視線が注がれてもいたのでしょう。ですから、旧臣として慶喜の名誉回復を果たしたいという栄一の気持ちは理解できます。

A:それだけに出来上がった『徳川慶喜公伝』は、歴史的には来年の大河ドラマの鎌倉時代の『吾妻鏡』と同じように、そのまま100%真に受けてはいけないんだと思います。

栄一が生涯を通して復権のため尽力した徳川慶喜(演・草彅剛)。

●大河ドラマ『青天を衝け』は、毎週日曜日8時~、NHK総合ほかで放送中。詳細、見逃し配信の情報はこちら→ https://www.nhk.jp/p/seiten/

●編集者A:月刊『サライ』元編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。かつて数年担当した『逆説の日本史』の取材で全国各地の幕末史跡を取材。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。幕末取材では、古高俊太郎を拷問したという旧前川邸の取材や、旧幕軍の最期の足跡を辿り、函館の五稜郭や江差の咸臨丸の取材も行なっている。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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