彰義隊、振武軍、箱館戦争、五稜郭新政府軍に抗った旧幕府軍の戦いはどう描かれたのか――。
* * *
ライターI(以下I): 『青天を衝け』第25話では、パリから帰国した篤太夫(演・吉沢亮)が、留守中の動静を聞くという体で、これまでの流れをおさらいしていくという演出でした。
編集者A(以下A): 上方から江戸に戻ってきた徳川慶喜(演・草彅剛)が浜御殿にいる場面がありました。現在の浜離宮です。慶喜が船をつけた船付場が今も残っています。今年の2月に『サライ』の取材で海上から現認しました。
I:慶喜が上方から江戸に逃げたと非難されることも多いんですよね?
A:いろいろな意見や説がありますが、ドラマの中で慶喜が発した台詞が説得力ありました。
I:〈それがしは断じて朝廷に刃向かう気はございませぬ〉ですね。
A:そうです。実際に鳥羽伏見の戦いで新政府軍は、明治天皇が征討大将軍の仁和寺宮彰仁親王に授けた錦の御旗を掲げます。慶喜は尊王を掲げた徳川斉昭の息子ですから、錦の御旗の登場に戦意をなくしたという説もしっくりきます。慶喜は朝敵の汚名を着るのが嫌だったのでしょう。
I:少し脱線しますが、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では対照的な場面が出てくると思います。承久の乱で後鳥羽上皇は、北条義時追討の院宣を発します。義時は朝敵となったわけですが、彼らは「後鳥羽上皇が謀反を起こした」と意に介さなかったといいます。
A:もし慶喜が北条義時的な人物だったら日本は内戦が続いて大変なことになっていたかもしれないということですね。 ところで錦の御旗といえば、彰義隊は上野戦争の際に、「東照大権現」の旗を掲げたそうです。新政府軍の錦の御旗に対して彰義隊が〈家康〉を掲げたというのは興味深いですね。
I:さて、江戸では、静寛宮(和宮/演・深川麻衣)、天璋院(篤姫/演・上白石萌音)らが、慶喜に〈お腹を召されませ〉と厳しいことをいう一方で、徳川家の存続を嘆願する書状をせっせとしたためていました。その書状を受け取った西郷隆盛(演・博多華丸)が嘆息していましたね。
A:実際には、 「天璋院様にこのような書状を書かせるとは」と慶喜に対して憤ったといわれています。
生涯平九郎を思い続けた渋沢栄一
I:第25話では、彰義隊の戦いを渋沢成一郎(演・高良健吾)、平九郎(演・岡田健史)の動向をメインに濃密に描いていました。特に篤太夫の見立て養子となっていた平九郎の最期は圧巻でした。
A:渋沢成一郎は彰義隊の頭取として、平九郎も彰義隊の一員として奮戦しました。番組最後の「青天を衝け紀行」で明治になってから渋沢栄一が平九郎最期の地を訪れていたことが紹介されていましたが、栄一の平九郎に対する思いは並々ならぬものがあったようです。渋沢栄一は、帝国劇場の初代会長に就任しますが、明治44年(1911)6月には、「帝劇の私物化」という批判を振り切って、平九郎を追悼する演劇『振武軍』を上演したそうです。ちなみに「振武軍」とは、成一郎が彰義隊と袂を別った際に新たに作られた組織です。
I:渋沢栄一は大正6年(1917)の平九郎五十年祭にも献辞をしたためました。〈明治戊辰のことを回想すれば実に感慨に堪えざるもの多し。徳川幕府三〇〇年の積威一朝にして崩壊し征討の軍、江戸城に進むにあたり幕府の旧恩にほだされて皇師に反抗したる者また少なからざりき(中略)その志を察すればいささか憐れむべきものあり。余の義子平九郎もその一人なりしなり〉――。平九郎は文武両道の優秀な人材だったといいます。22歳の命を散らしたのは残念な出来事でした。
A:ほんとうに泣ける場面でした。戦闘から逃れた平九郎はある農家で蚕(かいこ)を見ます。蚕といえば生糸、生糸といえば、明治国家最大の輸出製品になり、富国強兵を掲げた日本の財政を支えます。その明治の新しい世を見ることなく平九郎は命を散らした。いろいろなことを象徴する場面になりました。
I:世界遺産になった富岡製糸場が有名ですが、初代場長は尾高惇忠(演・田辺誠一)。むろん渋沢栄一の引き立てでしょうが、平九郎も生きていれば、ひとかどの人物になっていたでしょうね。
A:激動期の人間模様はほんとうに紙一重ですね。渋沢栄一もパリ万博の随行員に選ばれていなければ、彰義隊に関わっていたでしょう。そして、平九郎の場面で重要なのは、明治国家が強国になったのは、新政府の政策というよりも、日本人の底力が寄与したのではないかということを示唆してくれたこと。前述のように若き平九郎は文武両道。譜代小藩の富農層が大藩の武士層、江戸の旗本層にも伍す実力を有していたことを知らせてくれました。
箱館まで転戦した旧幕府軍
I:さて、御一新の激動の中で、小栗上野介(演・武田真治)が新政府軍によって斬首されます。作家原田伊織氏の著書『消された「徳川近代」明治日本の欺瞞』に詳しいですが、近代日本にとっては大きな損失でした。
A:ドラマでは斬首直前の小栗が口中に一本のネジを含んでいる様が描かれました。「日本の近代化はこの1本のネジから始まった」という演出だと受け止め、膝を打ちました。斬首されたのは、新幹線の安中榛名駅から車で約30分の群馬県高崎市倉渕にあります。〈偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる〉と刻まれた石碑の前に立った時、明治維新の闇を感じたことを思い出しました。
I:今週は、箱館(現在の函館)の五稜郭で戦う成一郎や土方歳三(演・町田啓太)も登場しました。土方歳三かっこよかったですね。
A:私が五稜郭を訪れたのは小学6年生の修学旅行が最初です。売店にあった『歴史読本』「最後の戊辰戦争 五稜郭の戦い」を買った記憶があります。以来、幾度も五稜郭に足を運びました。箱館戦争で命を散らした人々を慰霊する「碧血碑」は春夏秋冬それぞれの季節に訪ねています。蝉の鳴く季節は、蝉の音が、斃れた兵の叫びに聞こえたものです。
I:『サライ』の特集では江差沖で座礁した開陽丸について取材していますよね。
A: 江差町には、土方歳三嘆きの松という史跡があります。開陽丸が江差沖で座礁する様子を眺めていた土方歳三が松の幹を幾度も拳で叩いて嘆いたという故事が伝わります。土方の心中を思えば胸に迫りくるものがありました。江差には引揚げられた開陽丸の遺物が数多く展示されている開陽丸記念館があります。お勧めスポットです。
I:彰義隊や箱館まで戦い続けた旧幕府軍の存在も決して忘れてはならないですね。
●大河ドラマ『青天を衝け』は、毎週日曜日8時~、NHK総合ほかで放送中。詳細、見逃し配信の情報はこちら→ https://www.nhk.jp/p/seiten/
●編集者A:月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を担当。かつて数年担当した『逆説の日本史』の取材で全国各地の幕末史跡を取材。函館「碧血碑」に特別な思いを抱く。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。幕末取材では、古高俊太郎を拷問したという旧前川邸の取材や、旧幕軍の最期の足跡を辿り、函館の五稜郭や江差の咸臨丸の取材も行なっている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり