文/池上信次
今回は、ビル・エヴァンスの「真の愛奏曲」(前回(https://serai.jp/hobby/1044010)参照)である「ワルツ・フォー・デビイ」についてのひとつの考察。「ワルツ・フォー・デビイ」(以下「デビイ」)は、現在では多くのジャズマンが取り上げている曲ですが、ほかの多くのスタンダード曲とは異なる特徴がいくつかあります。そのひとつは「ヴォーカル版も人気曲」ということ。
エヴァンスに限ったことではありませんが、ジャズ演奏家が書いた曲はもともとほとんどが器楽演奏用ですから、歌詞はありません。その曲がスタンダード化しても、そこに歌詞がつけられるのはまれです。歌詞をつけるのはヴォーカリストが「歌うため」ですが、わざわざ曲に合わせて歌詞を書いてまで歌おうというのですから、「後付け歌詞」のある曲は名曲の証ともいえましょう。
さて「デビイ」ですが、エヴァンス自身の演奏でもっとも知られるのは1961年録音の『ワルツ・フォー・デビイ』(リヴァーサイド)です。そしてヴォーカル・ヴァージョン(以下、歌版)が初めて録音されたのは1964年のことでした。3年の間にこの曲が広く知れ渡ったということになるのでしょうが、驚くのは3人のまったくタイプの違うヴォーカリストが、なんとほとんど同時といってもいい時期に録音していること。今回のタイトルにした、謎というのはこれです。
録音順に紹介すると、一人目がモニカ・ゼタールンド。スウェーデンのヴォーカリストで、エヴァンス・トリオがバックを努めます。アルバム・タイトルは『ワルツ・フォー・デビイ』ですが、スウェーデン語の歌詞がつけられた曲名は「モニカのワルツ(Monicas Vals)」になっています。録音は1964年8月29日(CD記載データ)。
そして二人目がトニー・ベネット。『フー・キャン・アイ・ターン・トゥ』(コロンビア)に収録されています。アルバム・タイトル曲はシングルカットされましたが、そのB面は「デビイ」でした。力が入った1曲だったのですね。録音は1964年9月4日(オフィシャルサイトによる)。なお、のちにベネットは、75年にエヴァンスとのデュオ・アルバム『トニー・ベネット&ビル・エヴァンス』(ファンタジー)でこの曲を再演します。
三人目はジョニー・ハートマン。『ザ・ヴォイス・ザット・イズ』(インパルス)で歌っています。1964年9月22日録音(評伝『The Last Balladeer: The Johnny Hartman Story』Gregg Akkerman著による)。ベネットとハートマンは同じ歌詞(英語)を歌っています。作詞はジーン・リース。「純真な子供もいつかは大人になっていく」といった、「幼い姪のデビイ」をイメージした内容です。リースは、そのころアメリカに進出してきたボサ・ノヴァの英語作詞(訳詞ではない)で知られますね。「コルコヴァード」(英語題=「クワイエット・ナイト」)がその代表作。アメリカのシンガーたちはオリジナルのポルトガル語では歌えないので、みなリースの英語歌詞で歌いました。
1964年の夏になにがあったのか? 1か月の間を置かずに3人が録音したのです。まったく同時期にアメリカと、遠く離れたスウェーデンで同じ歌が「初めて」録音されていたというのは、なんとも不思議なことではありませんか! なお、発売はベネットが11月16日、モニカがスウェーデンで同年12月、ハートマンが翌65年(月は不明)の順になります。
モニカについてはきっかけが明確です。モニカ・ゼタールンドの伝記映画『ストックホルムでワルツを』(原題:Monica Z/2013年)では、モニカがスウェーデン語の歌詞を歌う「モニカのワルツ」のデモテープをエヴァンスに送り、それを聴き気に入ったエヴァンスからモニカに電話が入る、という描写があります。どこまでが映画上の演出かはわかりませんが、モニカの『ワルツ・フォー・デビイ』(ああややこしい)のオリジナルLPの裏ジャケにこんな記述があります。
「それは1964年3月14日、フロリダ、オーモンド・ビーチからの手紙で始まった」と始まり、ビル・エヴァンスがモニカの歌う「デビイ」を大絶賛していることが記されています。そして何度もの手紙のやりとりがあって、モニカとエヴァンスはスウェーデンでの共演に至った、と。つまり、映画ストーリーの流れの通り、モニカからエヴァンスにアプローチがあって、エヴァンスがそれを気に入ったということのようです(スウェーデン語ライナーノーツを、Googleの力を借りて読解)。
さて、ではベネットとハートマンはなぜ同時期に? ここからは推理あるいは妄想です。エヴァンスはモニカのテープ(か、なにかしらの音源)を聴き「デビイ」の歌版はイケると考え、モニカのプロジェクトとは別に「英語歌詞版」を企画。なぜならスウェーデン語ではアメリカ人には歌えないから。そこでエヴァンスはジーン・リースに作詞を依頼する。リースもボサ・ノヴァ翻案の経験から、これは当たるとふんで引き受け、すぐに完成させると出版社とともに売り込みを開始。当時売れっ子のベネットとハートマンに売り込んだら、なんとすぐに両方とも採用になってしまった、と。ちなみにベネットはこの前年に、リース歌詞版の「クワイエット・ナイト」をいち早くレコーディングしています。
さらに妄想。ハートマンの同時期の録音を知ったベネットは、「デビイ」は名曲ゆえ「自分の曲」にしておきたいと、慌ててシングルのB面にフィーチャーした、と。ですから、冒頭に書いた「デビイ」は「3年で広く知れ渡った」から歌われるようになったということではなく、エヴァンスの(というかモニカの?)企画力によって歌詞が作られ、ヴォーカリストたちに曲の魅力をアピールしたから歌われるようになったというのが、妄想の結論。
いずれにせよ、以前にも紹介したように(連載第9回(https://serai.jp/hobby/368103))、「デビイ」はエヴァンス色がとても強いためインストのジャズ・スタンダードというには広がりに乏しい面があります。一方、ヴォーカリストにはその「呪縛」がないため、「デビイ」はヴォーカルではスタンダード化しています。エヴァンスは、当時すでにそれを自覚していたのかもしれませんね。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。