1867年にベルギーで撮影された徳川昭武一行の写真。昭武は左から3番目。

断片的に届く「幕府存亡の危機」の情報を、江戸からはるか遠方のパリにいた渋沢栄一らは、どのように聞いたのか。かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)の元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏がリポートする。

* * *

渋沢栄一(演・吉沢亮)を含む徳川昭武(演・板垣李光人)一行は、パリ万博に出席したのち、パリ市街を視察。そのあとは1867年9月から12月の間に、3回に分けてヨーロッパ巡歴を行なった。まず一行はスイス、オランダ、ベルギーを訪問し、いったんパリに戻って次にイタリア、マルタ島へと赴く。ここでもう一度フランスに戻った後、今度はロンドンに行って、またパリに戻った。

そして、パリに戻って旅の疲れをいやしていたころ、日本から驚愕すべき報せが届いたのだ。慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍と薩摩を中心とする新政府軍が衝突。旧幕府軍は敗北を喫し、元将軍の徳川慶喜(演・草彅剛)は大坂城を脱出して海路、江戸に帰還し、すでに謹慎生活に入っているという報せだった。報せがパリに届いたのは、同年の3月のことだった。

近年、この時、昭武が慶喜にあてた書簡の草稿が見つかった。所蔵していたのは、渋沢栄一のご子孫で、渋沢史料館に寄贈された。

この書簡を実際に書いたのは、渋沢だった。昭武はまだ14歳で、独力で正式な返書を書くのは難しかったのだろうか。書簡の内容を見ると「私は本来無知蒙昧で、さらにまだ幼いもので」「いまだ少年の私」といった表現が出てくる。これは、昭武の肉声に近いと解釈することも可能だが、どうもこの書簡は、昭武の立場を借りて渋沢が自分の思いのたけを書いたものではないかと解釈する研究者が多いようだ。

書簡のなかで昭武(実は渋沢)は、王政復古クーデターを強く批判し、これに対して鳥羽伏見の戦いを起こしたのは当然の正義であり、天下万民の望むものだったと語り、戦争勃発そのものは、旧幕府に大義名分があったと主張する。

ところが、鳥羽伏見の戦いで敗れた慶喜が江戸に逃げ戻って新政府に恭順の意を表したことについては、「恐れながら首尾一貫していない!」と厳しく批判する。

さらには、神君家康公以来300年続いた徳川家の栄光の歴史は、一瞬であなた(慶喜)が捨て去ってしまった。もはや挽回することもできない!と、かなり辛辣な言葉を慶喜にぶつけているのだ。

28歳の渋沢と14歳の昭武の合作!?

慶喜に向けられたこの批判、果たして昭武の意図をある程度くんで渋沢がつづったものか、あるいはまったく渋沢の独断で書かれたものか。なかなか判断はしづらいところだが、渋沢が主筋である昭武に無断で慶喜の批判を、しかも昭武の名前で書き飛ばすとは思えない。昭武も14歳とはいえ、今の中学生とはわけが違う。手紙で自分の考えを吐露するくらい、できて当然ではなかったか。自分の名義で、渋沢が個人的な感想を書くのを黙って許すとも思えない。

おそらく、28歳の渋沢と14歳の昭武は、はるかかなたの日本で起きている事態について意見を交換し、慶喜への不満を語りあったのではないだろうか。そして、それを昭武の言葉として渋沢がまとめて書いた。つまりこの書簡は、ふたりの合作とみてよいのではないか。

すでに慶喜は江戸城を離れ、上野の寛永寺大慈院に退去していた。しかし、旧幕府勢力の中には、まだ新政府に随おうとしない人間も少なくない。彼らは脱走して江戸及び近郊で反撃の危機をうかがっていた。

渋沢栄一の従兄で、ともに一橋家に仕官した渋沢成一郎(喜作/演・高良健吾)もそのひとりだった。4月になって慶喜が上野を退去して水戸藩の預かりとなると、成一郎は、同じく農民出身で幕臣となっていた天野八郎(演・佐伯大地)らとともに彰義隊を結成し上野に割拠した。

こうした情報は、おそらく断片的にしかフランスには届かなかったろう。旧幕府勢力の明治政府への抵抗は、実際にはその後も続き、旧幕府海軍の榎本武揚を総裁とする箱館政府が敗れて箱館戦争が終結するのは、翌明治2年の5月のことだった。

しかし、パリの昭武と渋沢がそれを予想できたはずがない。はるか遠いパリの地で、幕府が崩壊して徳川家の存続さえおぼつかないとの情報を目にし、やもたてもたまらず、慶喜への不満を書き綴ってしまったのではないか。

渋沢は、大正2年(1913)に徳川慶喜が亡くなるまで、終生、忠誠心を持ち続けたと言われている。その渋沢にして、この慶応3~4年にかけての慶喜の行動は、どうしても解せなかった。非難せざるを得なかった。

主君に対する、ただ一度の批判をつづったこの書簡、実に興味深いものだ。


安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。

 

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