池田省治さん(グラウンドキーパー)

─新国立競技場など「五輪の舞台」の芝生管理を請け負う第一人者─

「小さな作業の積み重ねで芝生を整えて、選手たちの最高のプレイを引き出したい」

1mm単位で調整した芝刈り機で芝を刈ったあと、さらに自身の指で芝の長さや状態を確認する。サッカー日本代表の練習拠点であるJFA夢フィールド(千葉市美浜区)で。

──新国立競技場の芝の管理をしていますね。

「この1年、新型コロナウイルスの影響を受け、私たち東京五輪のサポートスタッフの活動も大きく揺れ動きました。とはいえ、グラウンドキーパーが日々、やること自体に変わりはありません。芝生をより良い状態に整え、その上に立つ選手たちの最高のパフォーマンスを引き出すのが仕事です。競技場はその先も、ずっと使われ続けていくわけですしね」

──生まれは富山です。

「富山市内で生まれ、立山連峰を眺めながら育ちました。ハンドボール部に所属する一方でスキーに打ち込む高校生でした。将来どんな仕事をしようかと考えていたとき、黒部ダム建設をテーマにした映画『黒部の太陽』を観て土木工事に憧れ、東京の武蔵工業大学の土木工学科に進みます。卒業後、大手ゼネコンに就職したのですが、仕事の中身が思い描いていたのと違って、3年半で退職しました」

──その後はどんな仕事を。

「大学時代は水上スキー部で活動していたのですが、卒業後はさらにハンググライダーやスケートボードも楽しんでいました。その仲間と一緒に、東京・渋谷の東急文化会館の屋上にカリフォルニアスケートボードパークというのを開設しました。ところが流行にかげりがきて継続するのが困難になって、体ひとつで生きていくために何をやろうかと思案したときに、スポーツのイベント業があるということに気がつきました。それでイベント会社への転職を経て起業し、イベント運営に取り組むようになりました」

大学時代は水上スキージャンプ種目の学生王者にもなった。「富山でスキーをやっていて、水上スキー部なら冬のスキーもできるというので入部しました。スキーは今も続けています」

──イベント会社としてスタートした。

「転機は1989年に訪れました。前年に東京ドームが完成して、野球以外にもさまざまなイベントを開催していこうということで、アメリカのプロフットボールリーグNFLの練習試合をやることになりました。私はその運営マニュアルの作成や折衝ごとを任されていたのですが、NFLとの契約条項の中に、“チームの泊まるホテルから車で30分以内の場所に、天然芝の練習グラウンドを2面用意しなければならない”という趣旨の記載があった。周囲を探し回って、代々木公園の中に2か所、いまサッカー場となっているところと、織田記念の陸上競技場(織田フィールド)を借りることができ、そこを天然芝の練習場に仕上げることになりました。すると、東京ドームの方から“池田さんは前に土建をやっていたし、そっちの面倒も見てよ”と言われ、芝生と向き合うことになったのです」

──芝生に対する知識はあったのですか。

「スポーツのステージをつくることはイベント業の一環という思いはありましたが、芝生に関しては、ゼネコン時代に高速道路の法面(のりめん:人工的な斜面)に施したことくらいしかありませんでした。

そのときアメリカからやってきたのが、NFLのグラウンドキーパーのジョージ・トーマでした。NFLの優勝決定戦であるスーパーボウルに、’67年の第1回大会から欠かさずグラウンドキーパーとして参加して、全試合の芝生の上に立っている伝説的人物です」

──心強い人の登場です。

「代々木公園のその場所は、土がむき出しになった裸地の状態でした。3月の種まきから始めてわずか4か月の間に、そこを選手たちが練習できるグラウンドに仕上げなければならない。ジョージは明け方から真っ暗になるまで、コーラ片手に飯も食わずに働くわけです。私も一生懸命お手伝いして、当時の日本では見たこともないほどきれいな天然芝のグラウンドを準備することができました。そこから、芝生の魅力に目覚めました」

──その後、アメリカでも仕事をします。

「ジョージを師と仰いで日本国内でこつこつ仕事を続けていたら、’94年にスーパーボウルのグラウンドクルーの一員に迎えてくれたのです。スーパーボウルは、NFLの最高峰を競う決戦であるとともに豪華絢爛なハーフタイムショーでも知られる、米国最大級のスポーツイベントです。そのイベントを完璧にするために、選手たちの質の高いプレイを最大限に引き出せる芝生を準備する一方で、同じ芝の上で最高のショーを演じてもらう。芝生にとっては相反することなんですけど、それを卓越した技術と資金面を含めた対応力で両立させていく。カルチャーショックを受け、すっかり魅せられてしまって、ますますこの仕事にのめり込んでいくことになりました」

──具体的にはどんなやり方をするのですか。

「スーパーボウルの1試合のために、現地では2~3年前から2か所の畑で芝生を育てています。気候によって芝の出来栄えに差が出るので、2か所おさえておくわけです。それで広大な面積の畑の中から、一番いいところを幅1mほどのロール状に切り出して持ってきて、グラウンド一面に張る。ビッグロールという工法です。その後、ひと月からひと月半くらいかけて、丹念に芝を整備して試合当日を迎えます」

「芝生は決して裏切りません。努力したことが必ず返ってきます」

──本場、スーパーボウルの作業人員は。

「ジョージが選りすぐって40人ほどが集められます。いずれも、NFLや野球のメジャーリーグなどでグラウンドキープの責任者をつとめるような優秀な人材です。そんな人たちと一緒に仕事をしながら、さまざまな対話をし情報交換する。それが大いに勉強になる。

スーパーボウルにはこれまで23回参加して、彼らとは今も何かと連絡を取り合っています」

──貴重な体験と人脈を得たわけですね。

「日本では従来、芝生の専門家といえばゴルフ場の管理人たちのイメージが強かった。ところが、アメリカでは、なんのための芝生なのかという目的意識が明確にあります。サッカーやラグビーでは、芝の上で走ったり飛んだりスライディングしたりする。その目的に応じて芝も丈夫につくってある。一方、ゴルフ場ではそんな激しい動きはしない。目的が違うので、同じ種類の草を使っていても育て方が違うし、全く別の仕事が求められます」

刈った芝生を手のひらに集め、よく見て、さわって、こねて、匂いを嗅か ぐ。「水分量や草そのものが丈夫かどうかなど、ここからさまざまな情報が得られるのです」
米サンディエゴの巨大なスタジアムでは、芝にペイントを施す際、乾燥を速めるためヘリコプターを飛ばしプロペラで風を送る裏技も。「彼らは目的に向かって一直線です」

──芝生も十把一絡げではないと。

「加えて日本の場合、グラウンドキーパーは芝の状態を良くしてさえいればいい、みたいな考え方があった。アメリカのグラウンドキーパーはラインも引かなきゃいけないし、芝生にペイントをする技術もなきゃいけないし、競技用のゴールを簡単に立てたり撤去したりできなきゃいけない。芝生の上でやれることをなんでもできる能力が要求されます」

──日本も今後変わっていきますか。

「すでに変わりつつあります。日本はもともと国土が狭く、折角つくったスタジアムは利用率を上げていかなければもったいない。また今の時代、ビジネスとしても儲けていかないといけないわけで、必然的にコンサートなどをしていくことになる。そうすると、芝生を養生する技術や傷んだ部分を修復して整える技術がなきゃいけない。さらに天候不順によって芝生が駄目になりました、2週間後にJリーグの試合が入ってます、という事態になれば、芝生をはがしてビッグロール工法で張り替えて、短期間で試合ができる状態にもっていくという技術が必要になるわけです。

とはいえ、日常の仕事は、天候と相談しながら芝を刈り、肥料をやって、水を撒き、土壌を整えてと、小さい作業の積み重ねです。基本的に、この仕事に特効薬みたいなものはありません。でも、芝生は決して裏切らない。私たちが努力したことが必ず返ってくる。楽しいし、可愛いもんですよ」

アメリカ製の芝刈り機を操る。「天然芝は、傷むのがいいところでもあります。芝が傷むことで選手が傷まずにすむ。スキーのビンディング(靴を接続する器具)と同じです」

──今、面倒を見ているグラウンドの数は。

「新国立競技場の他に、味の素スタジアムやJFA夢フィールド、秩父の宮ラグビー場、FC東京の練習場、福島のJヴィレッジ、鳥取県立布勢総合運動公園など、日本各地の計36面のグラウンドの芝生の管理をしています」

──次代を担う人材の育成も欠かせません。

「現在36名のクルーがいて、嬉しいことに息子も弊社で働いてくれています。人を育てるには、やっぱり権限と責任です。行政の管理のもと、ただ“言われた通りにやりなさい”という姿勢の仕事の進め方では、知恵も出てこないし技術の進歩も発展もない」

若手社員を指導する池田さん。手に持つのは、先端まで平面になっている米国製のスコップ。「普通のスコップだと芝生を切ったとき、切り口がギザギザになってしまうんです」

──役所はまだまだ保守的ですか。

「極端な話、行政では芝生のメンテナンスは芝刈り何回、肥料何回、薬剤撒布何回といった具合に全部決められていて、そこに金額を入れて入札し、一番安いところに仕事を頼むというやり方をしている場合も多い。仕事の中身で評価しない。私たちは土壌を健康にして、できるだけ減農薬、無農薬を目指してやっているわけですよ。農薬を撒かないでその分、肥料とか他の作業に手間をかけて丈夫に育てる。そうすると、農薬を撒かない分、減額なんて話が出てきたりする。そんなとき私は、“病気でもないのに、お子さんに抗生物質を飲ませますか?”と尋ねます」

「校庭や公園に遊べる芝を増やし、日本に芝生文化を根付かせたい」

──答えは決まっていますね。

「だから“芝生も一緒です”と。不必要な薬を飲ませるより、おいしいものを食べさせて元気に育てた方がいい。そういう意味では、企画提案型のいわゆるプロポーザル入札が徐々に増えてきてはいます。サッカー界はその代表ですし、新国立競技場もそれに近い形でやらせてもらっています。ですから、新国立の芝生の中にはスプリンクラーが埋め込まれています。それをコントローラーで操作して撒水する仕組みです。昔はレインガンといって、グラウンドの外から消防隊のホースみたいなものを使って芝に水を撒いていたのですが、それだと均等撒水ができない。私が初めて欧米からこの方式を導入しようとしたとき、非難囂々でしたが、実証実験のデータによって覆して扉を開いてきました」

──校庭の芝生化にも取り組んでいますね。

「たとえばイギリスでは、小学校のグラウンドはみんな芝生です。日本の場合、土や人工芝はまだしも、コンクリートのグラウンドもある。子どもたちの体が傷んでしまいます。

天然芝というと、とてつもない費用がかかると思われがちですが、それは誤解です。そもそも芝生という草の種類があるわけではなく、芝生は“草でできた絨毯”なんです。そして、絨毯にも模様があったり無地だったり、毛足の長さに違いがあり、高級なペルシア絨毯から安価で手頃なものもある」

──すべてにペルシア絨毯を敷く必要はない。

「それに人工芝は紫外線で劣化するので、10年程度で取り替えなければならない。そうすると、まとまった予算が必要ですし、産業廃棄物が出る。同じ予算を1年ずつに割り振って天然芝を維持管理していけばいいんです」

──今後の目標や抱いている夢は。

「日本に芝生文化を根付かせたい。今、サッカー協会と一緒に『グリーンプロジェクト』というのを展開しています。芝生のポット苗をプレゼントして、全国各地に遊べる芝生をたくさんつくろうという試みです。欧米では公園の芝生で子どもたちが駆け回っていますが、日本の公園は立ち入り禁止も多く、幼少から触れあう機会があまりない。緑の豊かな国なのに、もったいないですよね。個人的なことでいうと、友人の息子がハワイで競技場の仕事に関わっているので、いつかグラウンドづくりに貢献してみたいとも思っています。さらに大きな夢を語れば、東京に10万人収容できる天然芝のサッカースタジアムができてほしい。週末の都民の過ごし方が変わりますよ。新築が難しければ、代々木公園内のサッカー場を改修すればいい。私の芝生人生のスタートがあの場所なので、そこの芝生の仕事に関係できたら、本望です」(笑)

新国立競技場には建設時から関わった。「手入れの行き届いたグラウンドが用意されていれば、選手たちは思い切り極限までプレイできる。それが観る人の感動を生むのです」

池田省治(いけだ・しょうじ)
昭和27年、富山県生まれ。武蔵工業大学土木工学科卒業。建設会社勤務などを経て、昭和59年にオフィスショウを設立。NFLグラウンドキーパーのジョージ・トーマと出会い芝生の魅力に開眼、技術を習得する。スーパーボウルの23回を含め、NFLの大会に60回参加。現在、36名のクルーを率いて新国立競技場、JFA夢フィールド、味の素スタジアムなどの芝の管理に当たっている。

取材協力/日本サッカー協会

※この記事は『サライ』本誌2021年8月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。(取材・文/矢島裕紀彦 撮影/太田真三 )

 

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