細川藤孝の世渡り術
A:ところで、前編でも挙げた「驚きの場面」ですが、細川藤孝(演・眞島秀和)が光秀に謀反の動きありという情報を秀吉に注進している場面です。私はこれは妥当な解釈ではないかと思っていますが、大河で採用されたのは驚きでした。
I:嫡男忠興(演・望月歩)とたま(演・芦田愛菜)夫妻を引き連れて挨拶した直後のことです。当欄ではこれまでも藤孝が怪しいと主張していました。
A:藤孝は将軍義輝から離反しています。義昭から信長へと乗り換えた際には〈私は気がついただけです。政を行なうには、時の流れを見ることが肝要だと〉と自らの行為を正当化していました。例によって三重大の藤田達生教授の『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』の受け売りですが、秀吉が、光秀のもっとも信頼していた藤孝サイドに接触していたそうです。同書にはこんな記述もあります。〈細川藤孝には前科がある。かつて足利義昭の側近であったにもかかわらず、元亀四年二月から三月にかけて信長に京都や義昭方の情報を注進して信長方へと寝返り細川から長岡に改姓している(略)秀吉の細川氏に対する厚遇は、秀吉に本能寺の変に関係する重要機密を提供した見返りの措置と推測される〉
I:劇中では、そうした説が採用されたということなんですね。
「麒麟」とは結局誰だったのか?
A:物語は、山崎の戦いがスルーされて、本能寺の変の3年後に飛びます。
I:駒(演・門脇麦)が市で光秀らしき人物を発見しますが、見逃してしまいます。光秀生存伝説を示唆するエンディングでした。
A:光秀が天海になったという展開にはさすがにできなかったということでしょうか。ただ光秀生存伝説は複数残されていて、岐阜県山県市には、今も光秀の子孫という方たちがいました。
I:姓を荒深と改めて続いているのですよね。
A:はい。しかし、光秀が生きていたかもとするエンディングは、1980年の『獅子の時代』を思い出させます。主人公のひとり平沼銑次(演・菅原文太)は秩父事件(明治17年)に参加して、その回が最終回でした。でも、生死は伏せられ、〈やがて日本は日清戦争に突入、さらに日露戦争への道を歩いてゆく。そのような歳月の中で幾度か銑次の姿を見たという人があった。例えば栃木県足尾銅山鉱毒事件の弾圧のさなかで、例えば北海道幌内炭鉱の暴動弾圧のさなかで激しく抵抗する銑次を見たという人がいた〉とナレーションが流れます。
I:なるほど。
A:当時まだ小学生でしたが、強く印象に残りました。今でも銑次が生きているのではないかとさえ思う時があります。ですから、今小学生の子供たちも光秀生存説に惹かれている子が出てくるかもしれません。
I:麒麟って結局誰のことだったのでしょうか。
A:私はやっぱり光秀だったのかなあと。菊丸(演・岡村隆史)を通じて家康(演・風間俊介)に託した伝言〈わしはこの戦はしょせんひとりの戦と思うておる。ただ、この戦いに勝って後、なんとしても家康殿の力添えをいただき、共に天下を治めたい。二百年も三百年も健やかな世が続く政を行なってみたい。もしわしがこの戦で敗れても後を頼みたい〉が、そのことを示唆しているのではないかと。
I:現在、いろいろ不安定な世になっています。今このとき、麒麟が降りてほしいと願う人が多いのではないでしょうか。
A:麒麟の到来を望んだ光秀の魂は、今もまだ残っているということですかね。
●ライターI 月刊『サライ』ライター。2020年2月号の明智光秀特集の取材を担当。猫が好き。
●編集者A 月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の「半島をゆく」を担当。初めて通しで視聴した大河ドラマは『草燃える』(79年)。NHKオンデマンドで過去の大河ドラマを夜中に視聴するのが楽しみ。 編集を担当した『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(藤田達生著)も好評発売中。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり