茶釜とともに爆発? 壮絶な最期は実話か否か
そして、松永久秀といえば、その壮絶な「最期」の場面が印象的だ。
久秀は、二度にわたり信長に謀反を起こした。信長と反目するようになった足利義昭や武田信玄が主導する「信長包囲網」に誘われたからだとも言われているが、大和国(奈良県)の支配をめぐって不倶戴天の敵となっていた筒井順慶を信長が召し抱えて保護したことが、久秀を追いつめたからだともいわれている。
信貴山城に立てこもったところ、信長の嫡男の信忠を総大将とする軍勢に攻め込まれる。もはや最期と悟った久秀は、身近においていた前述の平蜘蛛茶釜という天下の名器とともに火薬に火をつけて爆死したとされている。
しかし、同時代の記録をみると、追いつめられた久秀が「平蜘蛛を砕いた」という逸話と、それとは別に、「鉄砲の火薬に火をつけて城を焼き、自害した」という記述があるのみで、「平蜘蛛とともに爆死した」というのは、どうもそのふたつの話をミックスしてできた「お話」らしい。
実際、久秀の死からほどなくして、いったん砕かれた平蜘蛛を修理して茶会で使ったという記録も残っているので、爆破されたというのは事実ではない。
この逸話は、「久秀の茶器にかけた心意気」を語るエピソードとして、茶の湯の世界で伝えられてきたらしい。
愛してやまない名物茶器、憎き信長にくれてやるくらいなら、いっそのこと一緒に木っ端みじんにしてしまおう! それくらい、久秀は茶器を愛していた。いや、そもそも茶器にはそれだけの価値がある!——ということだろう。
茶の湯や茶道具の芸術的価値をアピールするには、もってこいの名場面だが、いささか演出がききすぎているようだ。
安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。