前回、「ブルー・トレイン」という名前の謎の(知ってしまえば[笑]ですが)テナー・サックス奏者を紹介しましたが、モダン・ジャズの時代には、このような「変名」によるレコーディング参加は珍しくありませんでした。
変名を使う理由は、ほぼ100パーセント、専属契約違反逃れのためです。専属ですから他社のレコードの録音には参加しないという契約ですが、ジャズではさまざまな理由からそれを一時的に解除することはよくあることでした。レコードのクレジットでよく見かける「○○ appears by the courtesy of ●●Records」(○○は●●の厚意で参加)というクレジットはそれを表したものです。そこには金銭、交換条件、義理?などいろいろな条件が介在しているはずですが、面倒であろうそれらの交渉をすっ飛ばして、名前が違えば「別人」であるという強引な理論と判断で押し切ったのが、変名参加というわけです。けっして当時のジャズ業界周辺が、「ゆるい」ということではなかったと思いますが、たくさんの例があるのですね。しかし、ジャズは個性表現の音楽ゆえ、実力あるミュージシャンほど「身バレ」率は高いので、「身バレ」は前提、いや、確信的炎上商法だったのかも。なにせ、ブルー・トレインですからねえ。
では「変名」の例を見ていきましょう。まずはアルト・サックス奏者の「チャーリー・チャン」。
アルト・サックスのチャーリー・チャンは、ジャケットではいちばん大きな写真、つまり主役なのですが顔がありません。なぜなら、顔を出すとチャーリー・パーカーであることがわかってしまうから。という前に、顔がない写真でも、また共演者や曲目からもパーカーであることが明白で、むしろ、チャーリー・チャンって誰? これは誤記? というほど、ほとんど変名の意味がない例ですね。
このアルバムは、マッセイ・ホールで行われたライヴの録音ですが、録音されることは事前にはパーカーには知らされていませんでした。しかし、興行的な失敗があり、その穴埋めのためにアルバムは出さなくてはならなくなり、当時プロデューサーのノーマン・グランツ(のちのヴァーヴ・レコードのオーナー)と専属契約のあったパーカーは、発売に一度は異議を唱えたものの止むを得ず変名を使ったそうです。名前を「チャーリー・チャン」としたのはパーカーの指示によるもので、「チャン」はパーカーの妻の名前です。パーカーの、妻への感謝のしるしだったそうです。[参考資料:評伝『バード チャーリー・パーカーの人生と音楽』(チャック・ヘディックス著/シンコーミュージック・エンタテイメント刊)]
もちろんグランツはこのアルバムが出たことを知らないはずはないのですが、このアルバムを発売したのが大手レコード会社ではなく、ミンガスとローチの自主レーベルということもあってか、オトナの対応をしたのでしょう。グランツはこの後も変わらずパーカーとレコーディングを続けています。なお、現在出ているCDでは、ジャケットの「Charlie Chan」が「Charlie Parker」になっているものもあります。
パーカーにはチャーリー・チャン名義でもう1枚あります。1953年、マイルス・デイヴィスはリーダー・レコーディングにあたり、「師匠」パーカーをスタジオに呼びました。『マッセイ・ホール』と同じ年ですから、パーカーはグランツとの専属契約がある時期で、マイルスも、プレスティッジのプロデューサーも、もちろんパーカー自身も契約のことは知っていたはず。にもかかわらず録音は決行されます。なんと、ここでのパーカーの担当楽器はテナー・サックス。どうやら最初から「別人」計画だったようです。しかし、計画は挫折。というのは、パーカーはスタジオで泥酔(にしては演奏は悪くないのですが)、曲数が足りずアルバムは完成しなかったのです。おそらくプロデューサーの印象も悪かったのでしょう、再度のセッションは行われず、音源は未発表のままとなります。
そして録音から4年近く経った1956年の末、プレスティッジはマイルス・デイヴィス名義のアルバム『コレクターズ・アイテムズ』をリリースします。この時期、マイルスはプレスティッジを離れて大手コロンビア・レコードに移籍したところでした。プレスティッジはそのタイミングで、未発表だったパーカー入り音源などを組み合わせて1枚のアルバムにしたのです。そこで使われた名前が、またしてもチャーリー・チャンだったのです。パーカーはすでにこの1年前に死去しているので、パーカーの意図は反映されていないでしょうが、すでに『マッセイ・ホール』で「チャーリー・チャンはチャーリー・パーカー」という認識ができていたのでしょう。「パーカーがテナー・サックスを吹いた珍しい音源」「マイルスとパーカーの共演」=コレクターズ・アイテムズとして、注目されることになりました。こうなるともはや変名というより、もうひとつの名前ですね。
さて次回は、アルト・サックスのロニー・ピーターズとジョージ・レーン、ピアニストのジョー・スコットらを紹介します。ジャズ・ファンを自認する方でもあまりご存じないですよね? でもじつはこの3人はとても有名なのです。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。