信長と朝廷~対立説から融和説へ

結びとして、幕府以上に旧来からの権威を象徴する朝廷との関係をたどっておきたい。20世紀後半の学説では、両者が対立関係にあったと見られていた。正親町(おおぎまち)天皇に譲位を強要し、朝廷がもちいる宣明(せんみょう)暦に替え、おのれがよしと考える三島暦を採用させようとする。これが朝廷の怒りを招いたとされ、「本能寺の変」の黒幕は朝廷という説さえ存在するのだ。

いかにも革命児としての信長像に沿う見解だが、近年はまったくことなる解釈が主流。信長と朝廷は、対立どころか融和関係にあったと考えられている。暦の問題は、たんに信長の合理的精神から出たことであり、また、正親町天皇はむしろ譲位をのぞんでいたとする。中世の天皇は、譲位にまつわる儀式をとりおこなうための費用が捻出できないため位にとどまる場合が多く、その負担を申し出た信長は感謝されたはずという。

じっさい、信長は財政的な負担などで一貫して朝廷をささえている。戦前にはこれを勤皇精神と解する史観が優勢だったが、それだけのメリットがあったと考えるべきだろう。前述の朝倉・浅井のみならず、難敵・本願寺との最終的な和睦(1580)も朝廷の仲介なしでは実現しなかった。権威としての利用価値はまだまだ高かったのである。武士とはことなる次元の存在である分、将軍よりも共存しやすかったのではないか。

天才、英雄、革命児と持てはやされてきた織田信長だが、近年は、その保守性に注目があつまっている。それを残念と感じる向きもあるかもしれないが、むしろ、天才という言葉にかくれていた部分が明らかとなり、政治家としての卓抜さがおもてへ出てきたように思う。

信長個人がきわめて激しく、狂気をはらんだ性質の持ち主であったことは疑いない。真っ先切って城を飛び出し、家臣たちが跡を追うという出陣のスタイル、朝倉義景や浅井長政の髑髏で盃をつくらせたというような話がいくつも浮かぶだろう。それでいて、その政治手法は穏健・老練ともいえるもの。正反対の資質が並びたっているところに、底知れぬ器を感じずにはいられない。これこそ、あらたな英雄像と呼んでいいのではなかろうか。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で第165回直木賞・第34回山本周五郎賞候補。また、同作で第9回野村胡堂文学賞・第15回舟橋聖一文学賞・第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。2022年、『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』、 『Story for you』 (いずれも講談社)がある。『逆転の戦国史「天才」ではなかった信長、「叛臣」ではなかった光秀』 (小学館)が発売中。

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