長宗我部氏に代わって土佐の国主となった山内一豊
山内一豊(やまうち・かずとよ/1545?‐1605)は土佐藩の初代藩主。尾張国(愛知県)に生まれ、放浪ののちに織田信長に仕える。その後、豊臣秀吉配下の武将として徐々に出世し、秀吉の死後、徳川家康に仕えて土佐20万2600石の大名となる。
関ヶ原の戦いののちに、長宗我部氏に代わって土佐の国主となった山内一豊は、人心掌握のために善政に努めた。一豊が領民の健康を気遣って発したのが、「鰹(かつお)の刺身を食べることの禁止令」だったという。生食による食中毒の防止である。ところが、土佐の人々は刺身を食べたいから表面をかるく炙(あぶ)り、外見を焼き魚のようにつくろって鰹を食べ続けたという。これが土佐の鰹のタタキの由来といわれる(由来は諸説あり)。
脳のはたらきを活性化させるという鰹の成分
鰹は、「脂肪酸」と呼ばれる、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)など体によいとされる成分を多く含んでいる。
その含有量は魚の中でもトップクラス。これらは脳のはたらきを活性化させたり、血液の流れをサラサラにしてくれるほかにも、健康や美容に有効なはたらきが期待される「オメガ3脂肪酸」としても注目されている成分だ。
一豊の禁令によってかえって土佐の人びとが鰹をおいしく食べる工夫を知り、その結果、領民の健康が増進したともいえるだろう。現在は、刺身もタタキもよく食べられ、さまざまな鰹料理が土佐の食膳にのぼっている。
文/内田和浩