日本を代表する夫婦漫才師、宮川大助・花子の花子さんが2019年に多発性骨髄腫を患ってから5年。完治しない病気と日々闘っている花子さんの闘病と、それを献身的に支える大助さんの日々を時にシリアスに、またユーモラスなタッチで、ありのままをつづった『なにわ介護男子』(主婦の友社)。厳しい病状も大変な介護やリハビリもユーモアに変えてしまうのは、日本の夫婦漫才を引っ張ってきたお二人ならでは。
「<なにわ男子>もカッコいいけど、<なにわ介護男子>も顔の大きさと年齢では負けてへんぞ、いや、カッコよさでも負けてないぞ、と世の中に伝えたい」と花子さんは言います。この本は、大助くんに、花子さんから贈る感謝状なのです。第3回目は、ぶっちゃけ夫婦対談の一部を公開。大助さんがどれだけ花子さんを愛しているのか、花子さんが大助さんに心から感謝していることがよくわかります。
退院までを描いた前作『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)と併せて読むのもおすすめです。
著/宮川大助・花子
好きで好きで一緒になったから
花子:大助くんは、「嫁さんの介護ばっかりして大変やな」って言われるのは嫌じゃないの? 旦那さんを介護してる奥さんは多いけど、その逆は少ないやん。私は、大助くんが腰をかがめておしめ替えたりしてると、みじめに見えるんちゃうかって、どうしても気になってしまうけど。
大助:確かに世間では、旦那さんが奥さんを介護してたら、「うわー、すごいな、えらいな」ってほめられることが多いみたいやけど、本人はもう全然そういうふうには考えてない。だって自分の大事な嫁はんやから。好きで好きで一緒になった女が倒れたから、面倒見てるだけやと思ってるから。1988年にあなたが胃がんを患ったとき、「もっと健康な人と漫才したらどう? 離婚してもええよ」って離婚届に判を押して僕に差し出したよね。覚えてる? 「僕はそんな気はない」ときっぱり突き返したけど、あの日、自宅1階の稽古場で「俺は何をしてきたんや。漫才のことしか考えず、嫁はんを24時間、追い詰めて、追い詰めて。気づいたときには、重病になってしもてる!」って壁に何回も何回も頭を打ちつけた。あのときの後悔が忘れられへん。1975年7月に出会って、4か月後にプロポーズして小さな結婚式を挙げて、「生涯、わが妻として大事にします」って誓ったのに。親からも遺言で「夫婦仲よくしなさい。漫才が原因で離婚するようなことになったら、漫才をやめなさい」と言われていたのに、と。
僕が漫才漬けやったから、家に帰っても「宮川大助・花子」のまんまで、寝ても覚めても漫才、漫才。普通の夫婦の時間なんてないも同然やった。あなたは、たまらんかったと思う。今、ようやく二人で一緒に家にいて松下美智代と松下孝美になれたんちゃうかな。僕は、第二の恋愛期間中のつもりでおるよ。
花子:松下美智代と松下孝美といえば、大助くん、プロポーズのとき、吉田拓郎さんの「となりの町のお嬢さん」のレコードに「好きです、みっちゃん、孝美、1975年10月30日」って書いてプレゼントしてくれたね。私の芸名が真琴やったから、当時も今と同じく「まこちゃん」って呼んでたのに、このときは「みっちゃん」って本名で書いてくれてた。あのレコードは、大切な宝物。今も大事に持ってるよ。懐かしいわあ。
大助:そうやったなあ。まこちゃんが「私のことが好きなんやな、好きやろ。結婚してあげてもええで」って言うから、「待ってくれ。プロポーズは男からするもんや」と慌ててさえぎって(笑)。営業先でのあき時間に「ちょっと歩こうか」と誘って、柿の実のなる坂道を一緒に歩きながらプロポーズしました。
花子:そのときプレゼントしてくれたのが、吉田拓郎さんの「となりの町のお嬢さん」。ところで大助くん、あの歌、最後まで聴いたことある?
大助:そりゃ、聴いたことある……はず。な、なんで今頃、そんなこと聞くの?
花子:あの歌、「となりの町のお嬢さんが僕の故郷へやってきた 都会の香りふりまいて 夢を見させてくれたんだ 好きになっちまったんだよ」で始まって……。
大助:そうそう! あの頃のまこちゃんそのものや。田舎者の僕は、都会的なまこちゃんを、ひと目見て好きになった。プロポーズにぴったりの歌やな。
花子:その先が問題やねん。「となりの町のお嬢さんは 僕を残して行っちゃった……お嫁に行ってしまったんだね……となりの町のお嬢さんは今年の夏の忘れ物」。となりの町のお嬢さん、都会に出て、別の男の人と結婚してますけど!(笑)。そんな歌、プロポーズのときにプレゼントしてええの? やっぱり大助くんはおもしろいなあ。ずっとおもしろい。
大助:ええ、そうやった? それは失礼しました(笑)。それにしても、あの頃のまこちゃんは、ほんまにおしゃれでかわいかった。江利チエミさん演じるサザエさんの大ファンやった僕は、目の前に理想の女性が現れたと思ってドキドキしたもんや。ショートカットにキャップかぶって、だてめがねかけて。最新流行のパンタロンのジーパンはいて。ボーイッシュで明るくて、キラキラ輝いてた。結婚してからも娘のさゆみを抱いて心斎橋を歩いてたら、みんながあなたを振り返って、サーッと道が二つに分かれたもんな。これぞニューファミリーって感じのファッションと雰囲気でとにかく目立ってた。お世辞でも何でもなく、あなたは売れる前から華があったよ。
花子:ありがとう。めちゃめちゃほめてくれてるところ悪いけど、私は大助くんのこと「ものすごい田舎もんやなあ。おもしろいなあ」って思って見てました(笑)。結婚前、二人でピザを食べに行ったら、「このUFOみたいな食べ物、何や!」って、こっちがびっくりするほど大きな声で驚くし、友だちとすき焼きを食べに行ったら、「これ、何の肉や? 鶏肉と違うやないか!」ってお店の人にクレーム言うくらいの勢いやったって聞いたし(笑)。ほんまに何から何まで田舎もんでおもしろかった。田舎から出てきて、結婚して、漫才で売れて、大きな家建てて、ほんまにようがんばったと思う。あの田舎もんがタキシード着て紫綬褒章までいただいたんやから。すごいサクセスストーリーやなあ。ほんまに立派。あんなに田舎もんやったのに。
大助:あのな、田舎もん、田舎もんって、何回も言いなさんな(笑)。
年をとる美学があるんじゃないか
大助:僕たちの漫才は今、ほとんど練習なしのぶっつけ本番やけど、あなたがすごいのは、舞台袖で若手の芸人たちさんと普通におしゃべりを楽しみながら舞台に向けて声をつくり、トーンを上げて、最終的に仕上げて堂々と出ていけるところ。4月のなんばグランド花月の2ステージでもそうやったなあ。僕は、若手の漫才を見ながら不安でたまらんかったけどね(笑)。
花子:その日の会見で大助くん、「僕たちは、座談会や放談みたいにゆったりしゃべれる『座・MANZAI』をやりたい」って言ってたけど、どんな思いを込めてるの?
大助:文字どおり「椅子に座ってやる漫才」という意味やけど、そこに込めている意味かあ。そうやなあ。あなたが車椅子に乗って、僕がそれを押して…というスタイルでいいじゃないか。そんな生き方を受け入れていこうよ、という意味も込めてる。誰だって老いていくんやし、これからますます高齢化社会になっていくでしょ。僕たちの肩肘張らない自然な姿から、幸せな夫婦のあり方や幸せな後期高齢者の生き方なんかが見えてきたらいいなあと思う。あなたといつも「年をとる美学というものがあるんじゃないかな」って話し合ってるやん。僕たちの漫才を通して「年をとる美学」を見せられたらいいなあ、と。
花子:ちょっとカッコよすぎるけどね(笑)。でも、そのとおりやと思う。私たちの人生をまるごと見せられたらいいな。それを笑いに変えて。
大助:うん。僕たちの漫才は、しめ縄にたとえるなら出雲大社のしめ縄級にデカいからね。夫婦としてのしめ縄も、ますます大きくなってるよ。
花子:「なにわ介護男子」のおかげです。
大助:このままいったら、宮川大助の没後、日本中の路地という路地に「大助如来」が建てられて、介護の仏様として祭られるんちゃう?
花子:そのときは、いの一番に拝ませていただきます。
大助:なんぼほど長生きするつもりやねん(笑)。
多発性骨髄腫ってどんな病気ですか?
血液のがんのひとつです。血液細胞のひとつである「形質細胞」が、がん化して異常細胞(骨髄腫細胞)になることで起こるもの。「形質細胞」と言ってもピンとこないかもしれませんが、じつは、とても重要な役割を担っています。それは、体内に入ってきた病原菌やウイルスなどの異物と闘う「抗体」をつくることです。ところが、これががん化すると異物を攻撃する能力のない抗体(M蛋白)をつくり続けてしまう。多発性骨髄腫とは、体のあちこちの骨髄で異常な形質細胞(骨髄腫細胞)と、役に立たない抗体(M蛋白)が増え続け、全身でいろいろな悪さをする病気です。
宮川大助・花子の人生劇場年表
1980年~1986年 数々の漫才コンクールや賞レースで新人賞・奨励賞を獲得。その人気を不動のものにする
1988年 花子 胃がんで手術・入院
2007年2月 大助 脳内出血で倒れて入院
2017年 大助 腰部脊柱管狭窄症で入院・手術、感染症で再入院・手術、グラム陽性菌敗血症で再々入院
2019年1月 花子 奈良県立医科大学附属病院にて多発性骨髄腫と診断される
2020年4月 花子 退院
2021年12月 奈良県生駒市・たけまるホールの寄席に夫婦で出演。2年半ぶりに舞台復帰
2022年4月 なんばグランド花月での吉本興業創業110周年特別公演にゲスト出演
2022年10月 花子 抗がん剤の副作用で肺に水がたまって心不全の状態となり、心臓カテーテル手術を受ける
2023年9月 花子 右の頭の骨に形質細胞腫が見つかり放射線治療のため入院
2024年4月 なんばグランド花月本公演に出演
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なにわ介護男子
著/宮川大助・花子
主婦の友社 1,650円
宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ)
夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は1954年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。