自然に親しみ、野山を歩く
肉体面でも、牧野は自然に自分の体を健康に育てていたといえる。特段、運動などは心がけてしていなかったというが、幼少期から植物を求めて野山に分け入って、太陽を浴びて動き回っていたことも、健康的な身体を保つことに有効だったと思われる。
煙草は吸わず、酒は嗜む程度に
喫煙習慣が一般的な時代だったが、牧野自身は煙草を好まなかったようだ。酒は飲まないと各所に書かれているが、下戸というわけではなく、晩酌ではよく赤玉ポートワインを飲んでいたという。
滋養のあるものを食し、過食は避ける
好奇心旺盛な牧野らしく、当時としては洒落た食事を好み、特に牛肉やトマトが好物だった。どちらかといえば小食だったこともあり滋養のある食物を求めたのかもしれない。次女鶴代の回顧録には、西洋酢をかけてトマトを食していたと記されている。立山(富山県)に植物採集に出かけた折には、タクシーを宿の下で待たせた状態で、同行者が牧野の部屋を覗きに行くと悠長にトマトを食べていた、といった逸話も残る。
コーヒーと甘味で心身の疲れをとる
コーヒーや紅茶、甘味が好きだったことでも知られている。コーヒー豆を買ってきては、自ら自宅で煎りなおして淹れるほどの凝りようだった。高知県立牧野植物園には、牧野が買い求めた銀座亀屋のコーヒー袋が残っている。コーヒーには砂糖とミルクを必ず入れたという。甘味も好きで、虎屋の餅菓子や、福島のかりんとうの話などがエッセイや知人宛ての手紙などに綴られている。
研究に邁進し、日本と世界の植物学に多大な功績を遺した牧野。それは自分の好きなことをひたすら追求した姿ともいえる。その中で、牧野が図らずも実践していたこと、いわば自然体で生を楽しむことが、生涯現役を貫いた牧野富太郎の長寿の秘訣といえるのかもしれない。
取材・文/平松温子 撮影/安田仁志
※この記事は『サライ』2023年6月号より転載しました。