文/鈴木拓也

江戸時代に著されたシニア向けの健康ガイドブックと言えば、まっさきに『養生訓』が思い浮かぶだろう。

著者の貝原益軒は、壮年の頃は藩医・学者として活躍し、古希を迎え公職を退いてからは、著述家として健筆をふるった。そのひとつが83歳の時に書かれた『養生訓』であり、21世紀の今も読まれる超ロングセラーとして、つとに知られている。

一方で、貝原益軒のかつての弟子で医師であった香月牛山(かつきぎゅうざん)が、『養生訓』と同時期に刊行した『老人必用養草』(ろうじんひつようやしないぐさ)を知っている人は、ほとんどいないだろう。

明暦2年(1656)に今の福岡県遠賀郡で生まれた香月牛山は、長じて医学を学んで中津藩(今の大分県中津市)の藩医を務めた。福岡藩士であった貝原益軒とも縁があり、儒学や本草学を学んでいる。

知識欲旺盛な碩学で筆まめでもあり、85年の生涯のうちに30点以上の著作を出した。そのひとつ『老人必用養草』は、香月が60歳頃の作で、タイトルどおり高齢者がより長く生きるための秘訣を述べたものである。

構成・内容は『養生訓』と似ており、ほぼ重複しているところもある一方、『養生訓』には見られないユニークな視点からの指南もあって面白い。

江戸時代の医療理論や技術は、現代人の視点では怪しげで、つたなくみえる。しかし根っこにある哲学や養生の仕方については、今もその有用性を失っていないものが少なからずある。だからこそ『養生訓』は今も版を重ねるのだろうし、ほぼ無名の『老人必用養草』にも、食養に関して注目すべきアドバイスが幾つも載っている。

今回はその『老人必用養草』から、現代人も参考としたい食養法をいくつかご紹介しよう。

1.朝夕どちらかは粥にすべし

「朝夕の食も一度は粥によろしかるべし。夜食は必ず粥たるべし。」

硬い米飯ばかりを食して、胃の健康を損なうリスクを戒めたもの。本書が書かれた時代は、朝夕の1日2食から1日3食への食習慣の変化が定着しつつあった。香月もそれにならい1日3食は多いとダメ出しをしていないが、昼食は3月から8月まで、夜食は9月から2月までの期間に限るとしている。そして間食は不可と忠告する。

2.肉は鶏肉を食すべし

「益ある鳥肉は、うずら、ひばり、鳩、鶏、鴨、雀、雁、鶴、鷺の類の肉を薄く切て、煮食すべし。」

鳥類の肉は健康に良く、とくにシニア層にとっては鶏が一番良い肉だとしている。

江戸や京都の都市部では、畜殺をタブー視する気風が残っていたが、香月が住んでいた九州では習慣的に鶏肉を食べていて、民衆はこれが身体に益することを知っていた。ただし、牛、鹿、猪といった獣肉は食べるべきでないと別項で述べている。

3.麺類はほどほどに

「湿麺(うどん、素麺、冷麦、そばきり)の類食ふべからず。(中略)すべて湿麺の類少なく食ふ時は害なし。」

麺類には厳しいことを言っているが、これは当時、腹いっぱいになるまで食べ続け、体を壊した人が多かったのを反映しているようである。麺類にかぎらず、少し食べれば益になるが、多食すれば害となる、というのが香月の基本的な考えである。

4.適量の飲酒は健康にとてもよい

「酒は人に益あり。陽気をたすけ、血気をやはらげ、食気をめぐらし、腸胃を厚くし、皮膚を潤し、憂いをわすれ、胸を発して意をのべて心をたのしましめ、寒湿をさり、悪気をころし、風寒暑湿の気におかされず。」

香月は言葉を尽くして、酒をべた褒めしている。ただし少量にとどめ、ほろ酔い程度にとどめるよう釘をさしている。また、冷酒や熱燗は勧めず、人肌くらいの温度にしたものがよいとも。

5.茶は食後に少量飲むにとどめるべし

「性、冷にして人の津液をもらし、腎精をへらす。よろしき物にあらず。されど常に食後に少なく飲むときは、食毒を消し、気を下し、眼を明らかにするの徳あり。」

茶については、冷の性質を持ち利尿作用が強く、精力を減退させるため、よいものではないと断ったうえで、食後に少量飲む分には利益があるとする。

「眼を明らかにする」ともあるが、現代の医学研究では、緑茶に視力回復を助ける効果があると判明しており、当時すでにその効用を経験から知っていたのであろう。

*  *  *

以上、香月牛山の著した江戸時代の養生書『老人必用養草』から、現代人も参考としたい食養法をいくつかご紹介した。人間の身体の本質的な部分は、今も昔も変わらない。貝原益軒の『養生訓』と読み合わせてみると、意外な気づきが得られるかもしれない。

【参考資料】
『老人必用養草』
(香月牛山著、酒井シヅ監修、中村節子翻刻/農山漁村文化協会)
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54011242/

『江戸の病と養生』(酒井シヅ/講談社)
『香月牛山の医の倫理観』(関根透/『鶴見大学紀要』第47号第4部収載)

文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。

 

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