文・写真/草薙由莉(海外書き人クラブ/ハンガリー在住ライター)

ハンガリーの首都ブダペスト郊外に位置する美しい丘、Zugliget。ここには観光列車の路線があり、自然豊かな森の風景を楽しみながら、その中を走り抜けることができる。しかし、これは単なる観光列車ではない。なんとこの列車の車掌は子ども。この路線は10~14歳の子どもたちによって運営されているのである。

初めての仕事に緊張する「車掌たち」

Children’s railwayはHűvösvölgy駅からSzéchenyi-hegy駅の区間を走る11.2kmの列車であり、始発の駅から終点までは約45分程度かかる。

乗車するために、まずはリフトに乗って丘の頂上へと向かう。夏のZugligetはまぶしいほどの緑で、この中を走り抜けたらさぞ爽快だろうと、今から期待に胸が高鳴る。

リフトからはブダペストの街並みを一望できる。

リフトを降りると、たどり着くのがノルマファ公園である。Children’s railwayの停車駅は全部で8つだが、そのうち5つの駅がこの広大な公園内にある。

公園の林の中の遊歩道を歩くこと15分程度、たどり着いたのはVirágvölgy駅。この日、列車の到着を待つ乗客はほとんど家族連れだった。もしかすると我が子の活躍を見に来たのかもしれない。そして線路沿いには子どもたちの姿が! つばの広い赤の制帽をかぶり、少しぶかぶかの紺色のブレザーを着ている様子がかわいらしい。しかし彼らはいたって真剣で、号令を出すべく、向かってくる列車を神妙な面持ちでまなざしている。

もくもくと大量の煙を吐きながらやってきたのは、蒸気機関式のトロッコ列車。特定の日にちに限り、このような蒸気機関車が運行されているらしい。鮮やかな赤の車体がよく山の緑に映えていた。

制服を着て仕事に励む子どもたち。

列車に乗り込んで座席で待っていると、二人の「車掌さん」が改札ばさみを手にやってきた。おそらく小学生で、これが初めての勤務なのかもしれない、かなり緊張した表情をしている。彼らのための模範的な乗客になるべく、こちらも自然と背筋が伸びる。まるで親戚の子どもを見ているようで、「がんばれ!」と思いながらにこにこしていると、ハンガリー語を話せない私を相手に、習いたての英語で切符を売ってくれた。

このように、切符は列車内で購入できる。金額は大人一人、片道で1000ハンガリーフォリント(2024年現在400円程度)。ただし列車内での支払い方法は現金のみ。また、列車の種類によっては追加料金の400フォリントがかかるので、事前にハンガリー国鉄の公式ホームページをよく確認してもらいたい。

お釣りの計算にてこずっていたが、しっかり業務を果たしてくれた。

いよいよ列車が走り出す。ハンガリーの森の新鮮な空気が、車内に流れ込んでくる。向かい合わせに配置された座席に座り、風景が流れていくのをぼーっと見ていると、静かな森にこだまする鳥の鳴き声や、木漏れ日の中を駆けていく小動物の姿に気づく。日常のことをひととき忘れて、豊かな自然に没頭することができた。

日本ではあまり見ない樹木もあり、ハンガリーの自然を満喫できる。
三角屋根が特徴的な駅舎。

正直なことを書くと、実際に子どもが働いているところを見るまで、そんな路線が本当に存在するのかと疑っていた。だから、列車内のアナウンスから鉄道の分岐器の操作、信号の制御に至るまでを、子どもたちが二人一組になって行なっているのを見たときには感嘆した。子どもたちはここで働くまでに半年間にわたる研修を受けており、大人が行なうのは列車の運転とメンテナンスのみだという。

そして驚くことに、Children’s railwayはただの子ども向けアクティビティではなく、ハンガリー国鉄(通称:MÁV)が1948年から運営している、れっきとした公共交通機関なのである。それゆえ、この路線の始発駅と終着駅はそれぞれ、バスやトラムなどの他の路線と接続している。子どもたちはこのインターンシップの中で、国鉄の業務の一端を担うことができ、鉄道という社会インフラの重要性を実感することができる。そしてもちろん、ここを訪れるお客さんは一般人だ。子どもたちは、さまざまな国籍や年齢の乗客と接することで、社会とかかわる体験を身につけることができる。

不思議なのは、このChildren’s railwayが9月初旬から 4月末までの月曜を除き、年中無休で運営されていることだ。どうして学校がある平日に、子どもたちは出勤できるのだろうか。実はブダペストの小・中学校では、優秀な成績を修めた子どもだけに、月1、2回ここで働く許可を出しているのである。つまり、ここで働くということは子どもたちにとって名誉なことであり、勉強に励む動機にもなっているのだ。

日本にも、キッザニアのような施設や職場体験などの取り組みがあるが、Children’s railwayもまさに、子ども達の自立心や社会性を育むのにぴったりの場所といえるだろう。

旧ソビエト連邦が作り上げた「職業体験」としての観光列車

しかし一体、どのような経緯でこのChildren’s railwayは誕生したのだろうか。

はじめてChildren’s railwayが建設されたのはハンガリーではなく、ロシアであった。1932年、首都モスクワにあるゴーリキー公園に、世界初となるChildren’s railwayが開通した。当初、このChildren’s railwayは旧ソビエト連邦が行なった教育政策の一つであり、子どもたちに社会主義的な労働倫理を浸透させることを目的に設立されたものだったのである。1940年代には、ロシアのみならず、ソ連影響下にあった東ヨーロッパの国や中央アジア、コーカサス地方の国で次々と建設された。

ソ連崩壊後、各国のChildren’s railwayは次々と廃路になっていった。しかし現在でも、ロシアのモスクワや地方都市クラスノヤルツク、スロバキアの地方都市コシツェ、アルメニアの首都エレバンなどでは運行が続けられている。しかし、ブダペストのこの路線はその中でも最長であり、2015年には、「世界最長の子供が運営する鉄道」として、ギネス世界記録に登録された。また前述したように、ほぼ年中無休で運行しているという点でも、世界的に珍しいといえるだろう。

ハンガリーの未来を担う子どもたちが運営する、のどかな観光列車。ブダペストに来たらぜひ乗ってみてはいかがだろうか。

Budapest Children’s railway ハンガリー国鉄公式ホームページ https://gyermekvasut.hu/en/home/
ノルマファ公園公式ホームページ https://normafapark.hu/sights/childrens-railway/childrens-railway
(時刻表や駅の場所、料金などはホームページ参照のこと)

文・写真/草薙由莉(海外書き人クラブ/ハンガリー在住ライター)青山学院大学卒業後、出版社に就職し美術の教科書の編集に携わる。2023年よりハンガリー、ブダペストの大学院へ留学。文化人類学を学ぶかたわら、現地の文化についての記事を執筆している。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員(https://www.kaigaikakibito.com/

 

関連記事

ランキング

サライ最新号
2024年
12月号

サライ最新号

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

「特製サライのおせち三段重」予約開始!

小学館百貨店Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア

花人日和(かじんびより)

和田秀樹 最新刊

75歳からの生き方ノート

おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店
おすすめのサイト
dime
be-pal
リアルキッチン&インテリア
小学館百貨店