酸味のあるライ麦パンと野菜たっぷりの具だくさんスープが、シニア料理家の健康の源。いずれも若き日の思い出の味だ。
【小林まさるさんの定番・朝めし自慢】
「俺が手伝おうか?」
このひと言が後半生を決めた。長男・史典さんの嫁・まさみさんがまだ駆け出しの料理研究家の頃。ひとりでは手が回らない様子を見るに見かねた、親心から出たひと言だった。
「まさみちゃんが朝の5時から夜中まで、ひとりで一生懸命やっているんだもの。俺は家で遊んでいるんだし、ひとつ洗い物でも手伝ってやっかなって思ったのさ」
病弱だった妻に代わって、結婚当初から家事や炊事をこなしてきた。ふたりの子供たちの弁当も作った。料理は苦にならない。一方、まさみさんは舅の手際の良さに内心、“これは使える!”(笑)と直感。こうして70歳の料理アシスタントが誕生した。この嫁舅コンビは、テレビや雑誌の現場スタッフらの間で評判を呼ぶ。
気がつけば、二人三脚で17年。ふたり一緒にテレビの料理番組に出演し、共著で料理本も出した。さらにまさるさんは、78歳にして料理家として『まさるのつまみ』なる自著を出版するに至った。
樺太やドイツの思い出の味
昭和8年、日本統治領の樺太で生まれた。13歳で終戦を迎えたが、父親の仕事の都合でロシア(当時ソ連)領となった樺太で過ごす。
「その頃から、おふくろが鱈でも鮭でも上手に捌くのを見て、魚の下ろし方は自然に覚えたね」
北海道に引き揚げたのは、15歳の時。その後、三井鉱山の鉱業学校を卒業し、20歳で美唄にある炭鉱に就職した。三井鉱山時代にはドイツ赴任も経験。朝食には、この若き日の味も生かされている。
「うちの朝めしは俺かまさみちゃんか、時間のあるほうが作るんだ。俺が担当する時は、ライ麦パンと野菜たっぷりの具だくさんスープを欠かさないね」
ライ麦パンは、ロシア領となった樺太時代やドイツ赴任時代の思い出の味である。
「ロシア兵がくれたライ麦パンは、本当に酸っぱかった。ドイツのパンはロシアほど酸味が効いてないけど、それでも酸っぱい。けど、噛かめば噛むほど旨味が出るんだ」
コンビーフのスープも、ドイツ時代に覚えた味。また、押し麦などを入れた穀物スープはロシア風で、少年期に馴染んだ味だという。
料理は頭の体操、 定年後の男子は厨房に入るべし
78歳で料理本を出版し、シニア料理家としてデビューした。これが元気の秘訣だという。
「俺に直接仕事の依頼がくるようになって、毎日がワクワク、ドキドキの連続。老いてる場合じゃないんだよ。それに、料理というのは頭の体操だ。俺は冷蔵庫を開けて、あるもので料理を考えることが多い。アイディアが決まったら、次は段取りを巡らす。これも頭のトレーニングになるね」
毎朝、食材を買いに行くのもまさるさんの仕事だ。スーパーの食材を見ているだけで、料理のアイディアがどんどん浮かぶ。これも勉強だ。買った食材は大きめのリュックに入れて歩く。1日の歩数は7000~1万2000歩。けっこうな運動量だ。加えて、毎日の風呂体操も欠かさない。
「ラジオ体操を自分流にアレンジしたものだけど、この風呂ストレッチは50年以上続いている」
今、計画していることがある。定年後の男子に、酒のつまみ程度の料理を教える教室を開くことだ。最後は、それを“あて”に皆で一杯やる。“まさるのつまみ教室”が、87歳の夢である。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆
※この記事は『サライ』本誌2021年2月号より転載しました。