【料理をめぐる言葉の御馳走~第6回】永田基男③
「毎月お見えになるお客様には、三球目には魔球を投げなくてはなりません」
いまから30年ほど前のこと。
お椀の「三分間のドラマ」に感動した私は、翌年一年間毎月、京都・祇園の「千花」まで通うことを主人永田基男に乞い願い、それが許された。
むかし、東京・四谷にあった日本料理「丸梅」の女主人井上梅は、本格的に日本料理を学ぶため、一年のうち一か月だけ関西へ修行に出かけた。最初が一月ならば、翌年は二月といったように、十二年かけて十二か月の料理を身につけてきた。そのことを井上梅の聞き書き「運・鈍・根」(聞き手は、確か、扇谷正造)を読んで知っていた私は、それに倣ったつもりで、毎月せっせと京都へ足を運んだのだった。
四月まで、お造りが鯛であったのが、五月になるとそれが鱸に替わった。
六月も鱸のお造り、七月に出かけると、今度は同じ鱸の刺身でも、黄粉にまぶした鱸のお造りだった。「黄粉?」と、一瞬不思議に思ったが、ひと切れいただくと、軽く一塩打たれた鱸と黄粉の香りが絶妙の相性をみせた。
(黄粉は、大豆で作る。醤油も同じ、ひょっとしてそこから考えた料理?)
いただいた感想とともに、なぜ、黄粉? と伺うと、
「その通りです」といったあと「毎月お見えになるお客様には、三球目には魔球を投げなくてはなりません」と続けたのだった。
ちなみに、一年間、指定された時間は午後の四時で、食事が終わる六時まで客はわたしひとりだった。
※写真は祇園「千ひろ」の、「千花」時代からの名物ゆば料理。海苔の細さにも注目。