■『妻有そば』との偶然の再会
俄然、興味がわいて、近くのスーパーマーケットで売っていた乾麺の十割蕎麦を買ってきて味見してみた。だが、こちらはさほどのことはなかった。やはり同じ十割蕎麦の乾麺でも、製造者によって大きな違いがあるようだ。
乾麺の味に驚いた直後、絵本作家の田島征三さんがアトリエで蕎麦パーティーを開くというので、僕もおじゃましてみた。そこで出てきたのが偶然にも、吉本隆明さんのお宅でいただいたのと同じ、あの「妻有そば」だったのだ。あらためて食してみると、やはり独特の食感が楽しく、充分に美味しい蕎麦だった。
そうか、と僕は、脱帽の心境だった。
乾麺は美味しくないものと、偏見を持っていた自分が恥ずかしかった。こんなに美味しいうえに、台所の戸棚に保存できて、いつでも簡単に茹でて食べることのできる乾麺とは、なんと素晴らしい食品だろう。それ以来、僕は地方で見たことのない乾麺を見つけると、裏返して原材料名などを熟読し、興味がわくと購入して帰ることにしている。
乾麺あなどることなかれ。乾麺製造業者の皆さん、大変失礼いたしまた。
なお、「蕎麦なんてさ、乾麺で充分」と教えてくれたBさんに、片山もこの体験を語り、一緒に「乾麺はいいね」という話で盛り上がった。
その後、Bさんと一緒に雑誌で蕎麦の特集記事を作り、Bさんは僕の推薦する手打ち蕎麦屋を食べ歩いた。その結果、すっかり手打ち蕎麦の虜になってしまい、先日は自分で蕎麦を打ってみたという話を聞いた。試食してくれた奥さんには、「太くて、うどんみたい」と不評だったとか。
手打ち蕎麦も乾麺も、それぞれに捨てがたい魅力がある。蕎麦というものは、じつに幅広い楽しみ方ができる、懐の深い食べ物である。
文・写真/片山虎之介
世界初の蕎麦専門のWebマガジン『蕎麦Web』(http://sobaweb.com/)編集長。蕎麦好きのカメラマンであり、ライター。伝統食文化研究家。著書に『真打ち登場! 霧下蕎麦』『正統の蕎麦屋』『不老長寿の ダッタン蕎麦』(小学館)、『ダッタン蕎麦百科』(柴田書店)、『蕎麦屋の常識・非常識』(朝日新聞出版)などがある。
【関連記事】
※ 名店といわれる老舗蕎麦店の「ざるそば」はなぜ量が少ないのか?
※ 混雑時の相席体験で納得! 浅草『並木藪蕎麦』が東京屈指の名店といわれる理由
※ 蕎麦屋の不思議~香り豊かな蕎麦の風味を消してしまうワサビが薬味に用意されるのはなぜか?