日本全国には大小1,500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。
そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】三重県 元坂酒造(げんさかしゅぞう)『酒屋八兵衛 山廃純米酒・伊勢錦』
ここ最近で全国に存在感をアピールした県といえば、三重ではないでしょうか。 “お伊勢さん”、“大神宮さん”の愛称で知られる全国1万8000社の総本社・伊勢神宮の第62回「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が行われたのは3年前の平成25年のこと。式年遷宮は古例に則って社殿や神宝などすべてを新たにして宮地(みやどころ)を移す20年に一度の大祭事で、持統天皇4年(690)から1300年以上にわたって連綿と続いてきた神事です。
当然、常にも増して大勢の参詣客が全国から押し寄せ、参道周辺の土産店も嬉しい悲鳴をあげるほどの凄まじい賑わいが何カ月も続いたそうです。その折は、伊勢土産として三重の日本酒が飛ぶように売れたと聞いています。
直近では今年の5月、伊勢志摩の賢島を舞台に、第42回先進国首脳会議、いわゆる“伊勢志摩サミット”が開催されたことは、まだ誰の記憶にも新しいと思います。そのサミット期間中の昼食・夕食の際に、どこの日本酒が供されるのか、それが当時はかなり話題にもなりました。
今宵の一献は、そんな三重の日本酒から。元坂酒造(げんさかしゅぞう)の『酒屋八兵衛(さかやはちべえ)山廃純米酒・伊勢錦』を紹介します。
伊勢志摩サミット初日のランチで各国首脳にふるまわれたお酒です。
伊勢市から車を走らせて小1時間ほどの距離にある三重県多気郡大台町。元坂酒造は、この山間の町に文化2年(1805)の創業から200年以上にわたって酒造り一筋に歩んできた蔵です。初代の元坂八兵衛が、今の酒造免許に相当する「酒株」を近隣の蔵から買い取って酒造業を興したのだそうです。
往時の代表銘柄は「東獅子(あずまじし)」と言います。
現在、蔵の代表兼杜氏を務めるのは6代目当主の元坂新(げんさか・あらた)さん。酒造りの技術は、新潟から蔵に来てくれていた杜氏について学んだといいます。
元坂酒造のお酒の大半は、地元ともいえる松坂や伊勢といった三重県内で消費されてきたのですが、大量流通による値下げ競争という時代の流れに押されて、酒蔵の経営は思うに任せず、徐々に厳しいものになってゆきます。そんなかでも他と差別化してもらえるような「純米酒」づくりに力を注いでいたのですが、その苦労が報われるには時間が必要でした。
転機となったのは12年ほど前から、より品質を重視して、県外の地酒専門店を対象とした限定流通酒への取り組みにシフトしたことでした。
地酒専門店との直接取引をするためには、酒質そのものを評価してもらわなければいけませんので、より難しい“山廃仕込み”にも力を入れ始めたのです。かくして生まれたのが『酒屋八兵衛 山廃純米酒』です。
その出来栄えが評価されて、徐々に県外へ広がっていったのです。いまでは『酒屋八兵衛』は銘酒としてかなり知られるようになってきました。
元坂酒造でもうひとつ注目すべきは、古くから酒米の自家栽培に取り組んできたことで、その酒米の名が「伊勢錦」です。一般的には、それほど知られている品種ではありません。しかし、江戸時代末期から栽培されていた伊勢錦は、元坂酒造に程近い地域が原産地とされる品種です。
一説では、酒米の王・山田錦の親にあたる「山田穂」と同一品種ともいわれています。その理由は、山田錦の名産地・兵庫県吉川地区から、お伊勢参りにやって来た農民が、ここ伊勢の山田地区(現在の伊勢市街付近)であまりにも立派に育った稲穂を見て感動し、それを持ち帰って育てたという伝承譚があるからです。
そこから伊勢の山田地区の稲穂を意味する「山田穂」の名がついたとされています。その昔、伊勢周辺で実っていた稲穂といえば「伊勢錦」しか考えられないのだそうですが、さて――。
昔は重宝された伊勢錦ですが、晩生でもあり、背丈が驚異的に高く、粒が大きく重いために、ひとたび台風がくると倒伏してしまいます。その栽培の難しさから、伊勢錦を育てる農家は徐々になくなり、ついには途絶えてしまいます。
元坂酒造6代目の元坂新さんが、農業試験場に保存されていた僅か一握りの種子から、伊勢錦を復活させるべく動き出したのは今から30年ほど前のことだったといいます。
「酒米を育てるのは、酒造りとは季節が反対ですので、冬場は蔵に籠り、夏は酒米作りに励む。その結果、土地に感謝の念を抱くことが出来て、より自分たちの仕事に誇りと責任を持てるようになった気がします」
そう語るのは、6代目蔵元の父と共に酒造り・米作りに精進する長男の元坂新平(げんさかしんぺい)さん。蔵の明日を担う20代の若者です。
その酒米の復活には、「選抜固定」といって、背丈の低めの稲を毎年選抜しては増やしてゆく方法をとりますが、10㎝ほど短くするのに20年ぐらいかかったといいます。それでも稲が倒伏するリスクはまだ高いのです。
日本有数の清流で知られる宮川流域の4軒の農家が、今では伊勢錦の栽培に力を注いでくれています。おかげで、元坂酒造が自社田で育てる伊勢錦は、蔵で使用する量の2割ほどです。
だとしたら、もう米作りは農家にまかせてもよさそうですが、自社田で酒米を丹精し続けるのには理由があります。ひとつの指標として、「このレベルの伊勢錦を育てないと、本当に納得のゆく良い酒は生まれない」という思いを形にすることで、酒蔵と農家がお互いに切磋琢磨するためだそうです。
成果が出たのが平成18年度の全国新酒鑑評会。「山田錦」以外の部門で、元坂酒造が「伊勢錦」で醸した大吟醸酒が見事に金賞を受賞しています。
今回ご紹介する『酒屋八兵衛 山廃純米酒・伊勢錦』は、平成26年度醸造でしっかりと熟成させた丸みを帯びた口あたり、コクのある味わいの深い逸品です。ひと口飲めば、冷やして飲むよりも「常温」もしくは「温めて飲む」ほうが美味しいとすぐに想像できます。夏場に飲むには、少し重たいかも知れませんが、秋も深まる、これからの時期にはぴったりです。
さて、酒肴にまいります。今回、「堂島 雪花菜(きらず)」の間瀬達郎さんが『酒屋八兵衛』に合わせてくれた料理は、「牡蠣と天然なめこの蕎麦の実入り蕪蒸し」です。
「山廃仕込みのお酒によくみられる独特な土っぽいニュアンスに、蕎麦の実の田舎っぽさと天然なめこの土っぽさがよく合うのではないか」というのが間瀬さんの発想です。そして、牡蠣については『酒屋八兵衛』と同じ三重県の的矢牡蠣はあえて使わず、小粒で凝縮した風味が特徴の北海道はサロマ湖産の1年牡蠣を使うことで、酒の強さに合わせたそうです。
ひと口食べてみると、蒸された蕎麦の実は少しモチモチとした食感が心地よく、牡蠣をはじめ、蕪や天然なめこなどの味わいが口中に一斉に広がります。そこへ人肌に温めた『酒屋八兵衛 山廃純米酒・伊勢錦』を滑り込ませると、様々な食材の味わいが一瞬でまとまって、お酒と馴染むなか、牡蠣の風味だけがスーッと際立つのを感じました。
まるで指揮者のいないオーケストラに、腕のいい指揮者が加わり、ヴァイオリンソロのために、他の楽器を静まらせ、ヴァイオリンの音色を際立たせたかのようです。
今回のお酒のベストな温度帯は、一般的な40~50℃よりも60℃近くまで上げた状態か、もしくは低めの30~36℃あたりがお薦めです。
味にくどさが出ずに、食事ともきわめて合わせやすいと思います。
さて、元坂酒造を語るうえで、忘れてはならない人が「お酒が大好き」という桐子(とうこ)さん、6代目蔵元の奥様です。その昔、独身時代は大阪を代表する繁華街・北新地で大好きなお酒を飲み歩いていたという、とてもエネルギッシュで素敵な方です。ひとたび、「酒の会」などに参加いただくと、ざっくばらんな人柄に触れて、誰もが桐子さんのファンになり、その場が華やぎます。一徹ながらもふんわりとした6代目に対して、桐子さんはちゃきちゃきしたしっかり者という印象の方で、ふたりはよくお似合いです。
それから、家族がもうひとり。長男の新平さんの下に弟の彰太さんがいます。東京農大の醸造学科を卒業して、現在は別の蔵元で酒造りの修業中なんだそうです。2~3年後には実家へ戻ってくるとのことですから、元坂酒造の未来が明るいことはまず間違いなさそうです。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一