酒は造られた土地の文化だといわれるが、ワインはその国の自然や風土、文化や感性を映し出す。日本でのワイン造りの歴史が140年以上というシャトー・メルシャンは、日本人が古来、大事にしてきた「調和」の取れたワインで、世界にその魅力を伝えようとしている。そして日本の伝統芸能である能楽もまた、他国の人々に日本の文化を発信し続けている。
能は観阿弥・世阿弥によって生み出された演劇であり、約700年もの歴史を持つ。2001年にはユネスコの無形文化遺産の一つとして認定されている。
その観阿弥から数えて26代目となる現在の家元の側近として活躍、観世会常務理事でもある武田宗和氏。日本の最高の文化のひとつである能とワインの共通点について、大いに語ってもらった。
日本ならではの魅力を伝統芸能やワインで表現する
安蔵光弘(以下、安蔵) 私たちは日本という地でワインを造り、それを飲んでいただくことで、日本の風土や文化の魅力を世界に発信したいと考えてきました。宗和先生も、能の世界で日本の伝統文化を、広く海外の人に伝えていらっしゃいますよね。
武田宗和(以下、武田) はい、今までフランス、ドイツ、アルジェリア、リトアニア、ポーランド、インド、ハワイなど約15か国で公演を行ってきました。
安蔵 そんなに行かれてるんですね。海外にも、能楽堂はあるんでしょうか。
武田 いえ、ないんです。だから日本の能楽堂のようにきちんと舞台を設える時もありますし、ステージ上にカーペットを敷くだけという場合もあります。もちろん、それすらやらないこともあって、国によって様々ですね。
安蔵 もともと能は、野外で公演していたと聞きました。
武田 今でもその形態は残っていて、そのひとつが薪能(たきぎのう)です。ただ夜の野外公演なので、照明やマイクも使います。能を観るというより、かがり火に照らされた情緒を味わっていただく感じでしょうか。
安蔵 海外の方は、能を観て理解できるんですか。
武田 パリは毎年のように、公演がありますが、観に来ている方の理解度はかなり高いですね。あまり動きのない静かな演目でも大丈夫です。日本人よりわかっているのではという感じの観客も結構いらっしゃいます。
安蔵 フランスは我々もゆかりが深いんです。ボルドーにあるシャトー・マルゴーの醸造責任者にポール・ポンタリエさんという方がいらして、90年代後半に醸造アドバイザーとしてメルシャンに来ていただきました。その時、ワイン造りのフィロソフィーとして「日本人は、日本庭園のようなワインを造ったら良いのでは」と言われました。それは日本庭園のように調和とバランスの取れたワインを造るといい、ということなんです。
武田 興味深いですね。
安蔵 メルシャンは以前、ボルドーにシャトーを持っていて、私は2001年から4年間、そこに駐在していました。フランスに行く前は、フランスのようなワインを造らないと海外には輸出できないだろうと思っていたんです。でも帰国後は、考えが変わっていました。フランスのコピーは必要なくて、むしろ徹底的に日本的なワインを造り、その完成度を極めたほうが海外で認めてもらえると思うようになったんです。
武田 今、世界各国でワインは造られていますから、それぞれ魅力が違って当然だし、そうあるべきだということですね。
安蔵 たとえば、シャトー・マルゴーは本当に素晴らしいワインですが、だからといってシャトー・マルゴーと同じワインを造ろうとはまったく思いません。完成度を高めるという意味では、同じでありたいと思いますけれど。
武田 あの、実は私も、シャトー・マルゴーに一度、行ったことがあるんです。
安蔵 えっ、本当ですか。
武田 はい。97年に観世流がパリで8日間公演を行ったんです。その時、交代で休みがありまして、私たちの組のなかのひとりにワインが大変好きな人がいて、ボルドーに行きたい、と。当時の私はシャトー・マルゴーの名前すら知らなかったんですが、訪問の機会に恵まれました。他にシャトー・ムートン・ロートシルトとシャトー・パルメにも行きました。
安蔵 ムートンは一般の方でも申し込めば訪問できますが、マルゴーはツテがないと難しいんですよ。
武田 通訳の女性が、マルゴーで働いている方と知り合いで、訪問可能になったと聞きました。地下のカーブに古い年代のワインがたくさん並んでいて、驚いたのを覚えています。本当に素晴らしい体験でした。
* * *
安蔵 能は、室町時代から約700年もの歴史があるんですね。
武田 それ以前から、猿楽(さるがく)や田楽(でんがく)は日本各地で行なわれていたようです。室町時代の観阿弥・世阿弥は、それまで地方に伝わっていたものを整理して、現在の上演形態に近い形で何百という演目を作りました。それにより能の格が上がって、3代将軍足利義満が「これはいい。庶民ではなく、我々が見るものにしよう」と、お抱えになったんですね。私たちの観世流というのは、その観阿弥・世阿弥の両方の名前をとっております。今の家元で26代目になります。
安蔵 能そのものは、観阿弥・世阿弥の前から脈々とあったものだ、と。
武田 たとえば山形県の庄内地方に伝わる黒川能が有名ですけれど、静岡県の最北端にある水窪町にも西浦田楽というのがあって、一度訪れました。ここでは高砂等、今でも上演されている曲もありました。
安蔵 能面にも、古いものが今に伝わっているんですか。
武田 はい。たとえば小癋見(こべしみ)という能面なんかは13世紀の鎌倉時代の作で非常に力強い顔立ちなので、それにあわせて特殊演出ができたほどなんです。
安蔵 能面というのは、笑っているような泣いているような、非常に微妙な表情をしていると言われますね。
武田 能面は、正面から見ると喜怒哀楽があまり出ません。でもわずかに下を向いただけで目を伏せた感じになって悲しそうに見えます。反対に少し顔を上げると晴れやかでうれしそうに見えるんです。
安蔵 極限まで抑えた動きのなかで、感情を表現するというのが驚きです。
武田 でもいつも言ってるんですが、博物館に収蔵されている能面は死んでしまっています。私たちに使わせていただきたいし、本来はそうしないといけないんですけれど。本当にもったいな、と。
安蔵 やっぱり、重要文化財とかになると難しいんでしょうね。衣裳はどうですか。
武田 装束も昔から伝わっているものがたくさんあって、一番古いと足利義政拝領というものがあります。演目によって何年かに一回使用する機会があるんですけれども、単衣のごく薄い生地なので、自分の代でボロボロにするわけにはいかないと、家元もものすごく気を遣っていらっしゃいます。
安蔵 そんな長い伝統を持つ能に比べて、日本のワインの歴史が始まったのは明治初期です。だからまだ150年くらいしか経っていません。でも、甲州というぶどう品種は800年以上前から山梨にあったと言われています。DNA解析で中国から伝わったというのはわかっているんですよ。同じ場所でこれほど長く栽培されているぶどう品種というのは、じつは世界的に見ても結構少ないんです。
武田 甲州は、長いあいだ食用だったと聞きました。
安蔵 日本は恐らく美味しい水が豊富だったから、明治になるまでぶどうからワインを造るという発想がなかったんですね。薬のような感じで、長いあいだ食べられていたみたいです。
武田 甲州というぶどう品種は、少し紫がかった色が独特ですね。
安蔵 私たちが造った『岩出甲州きいろ香 キュヴェ・ウエノ』をぜひ飲んでみてください。これは山梨県山梨市にある畑で収穫した甲州ぶどうを使っています。土壌から岩がゴロゴロ出てくるところなので「岩出」という地名になったと言われています。
武田 香りは穏やかですが、飲むと、酸味がはっきりしていますね。
安蔵 甲州のきれいな酸を残したいと思って造りました。ワインは料理があって完成するものなんですが、食事をする時に、この酸が良い方向に作用してくれます。
武田 料理が少ししつこくても、酸でさっぱりさせる効果があるのでしょうか。
安蔵 そうですね。ワインと料理のマリアージュでは、同じ香りを合わせるというひとつの法則があります。甲州には柑橘系の果物、たとえば柚子の香りがあるので、料理に柚子の果汁を使うと、とても相性がいいんです。塩焼きにした鰆に少し柚子果汁をかけたりすると、本当にぴったりです。
武田 安蔵さんはシャトー・メルシャンのワイン造りを統括される立場ですが、下の方にはどのように指導されるんでしょうか。
安蔵 自分の考えでは、「これをやれ」と言っているうちは、下は育たないなと思っています。責任は取るからやりなさいと、思い切って自由に。その人の良い感性が発揮できる環境が必要です。ワイン造りは文字にしてくれと言われても、決してできるものではないんです。
武田 能には本がありますが、内弟子をしていた時に、先輩が自分で動きなどを書き加えた朱入れを借りたことがあるんです。それが、まぁ、細かくてね(笑)。ここで止まって右とか、何歩行くとか、ひとつひとつ間違ってはいけないという感じで書かれていて、あれでは、もう動きが取れない。これは自分は無理だなと思って無視しました(笑)。幅がきかないというか、弾力性がなくなってしまうんですね。うちの父の教えはわりと大雑把で、あとは自分で考えろという感じでしたけれど。
安蔵 たとえ醸造する人間が変わっても、シャトー・メルシャンの味というのはどこかにあるんです。もちろん、人によって少しニュアンスが変わるんですけれども。
武田 みなさん、ずっとそこで働いていらしたわけだから、肉付けされたものもあるでしょうしね。観世流もそうです。私なんかは子供の頃からずっとその環境のなかで過ごしてきましたから、自然に身に着いたものは大きいですね。
万人受けは必要ない。それぞれに「花」がある
安蔵 今日、お聞きしたいなと思っていたことのひとつに、能が大事にしている「花」という価値観があります。
武田 「花」にはいろいろな解釈があるんです。若さの花、老いの花、それにめずらしい花、とか。能は、ひとりの能楽師が老若男女のみならず、鬼や神様などすべてを演じます。たとえば歌舞伎のように、立役とか女形とか決まっていないわけですね。だから、その時々に応じて、その人なりの花があるということ。能楽師はそれを出せなければだめだ、ということなんです。
安蔵 ワインも「花」が大事だと思うんです。我々がワインを造る時に、ただブドウをつぶしてお酒にしましたとか、自己満足で造ったとか、そういうことだけでは「花」のあるものにはなりません。あるいは、出来上がってすぐの若い時に飲んで美味しいワインもあれば、熟成して良さが出てくるワインもあって、それぞれに「花」を感じます。
武田 毎年、ぶどうも違うでしょうしね。
安蔵 はい。さらにいえば、ボルドーにはボルドーの「花」があり、日本には日本の「花」があり、甲州には甲州の「花」があるともいえます。ワインはみなさんに飲んでいただいて初めて完成するものですが、その飲み方によっても、何を「花」と感じるかは違うでしょうし。宗和先生は、観客との関係性は、どのように考えていらっしゃいますか。
武田 せっかく異空間に来ていただくので、帰りがけに「良かった」と思っていただきたい、そのために我々はいつも懸命に努力しています。私もお酒を飲むのが好きなので、飲み屋なんかに行くと自分の舞台を宣伝するんですが、「あんなに難しいのわからない」とよく言われますね。
安蔵 確かに、能は伝統芸能のなかでも難しいと思われがちです。
武田 そういう人に私が言うのは、「わかろうとしちゃだめだよ」と。我々が70年近くやったって、わかったとは言えないんですから(笑)。
安蔵 自分なりの見方でいいということですか。
武田 ただ漠然と「なんか高そうな衣装着てるな」とか、「すり足って、なんであんな歩き方できるのかしら」とか、「笛や鼓の音が気持ちいい」とか、何でもいい。そうやっているうちに、少しずつ理解できるようになっていきます。ただし、粗筋くらいは頭に入れて、予習してから観てくださいとはお願いしています。そのうえで足を運んだ方は、大体は「良かった。また公演があったら教えてください」と言ってくださいますね。
安蔵 それはワインも同じで、「ワインは難しい」と思う方が多いんです。私もよく「美味しいか、まずいかだけでいいので、構えないで飲んで見てください」と話します。それで「果物の香りがする」とか、何かひとつでもいいから感じてくれれば、と。
武田 能は生の舞台ですから、その日のシテ(能の主役)とワキ(シテの相手役)、囃子(はやし、笛・小鼓・大鼓・太鼓からなる合奏)によっても全然変わりますしね。
安蔵 それに加えて、そこにいるお客様の反応によっても違ってくるんでしょうか。
武田 そうなんです。
安蔵 完全に同じだったら、見ているほうも飽きてしまう可能性もありますよね。
武田 能はリハーサルはほとんどなくて、やっても1回か、せいぜい2回です。だから、常に動いているんですね。逆に、そうでなければ面白くない。他の演劇で、何度も何度も練習して、ひとつの形にするやり方もありますが、能はまったく違います。
安蔵 逆に事前にリハーサルをしないことで、緊張感を保つということですね。それはワインも似ています。ワイン造りは毎年ぶっつけ本番で、練習ができないんです。ぶどうが収穫されてカーブに入ってきたら、そのぶどうを見て、その都度仕込みを決めます。あれは、何度やっても緊張する瞬間です。
武田 能でもワインでも全員がいいと思うなんて、ありえないわけですしね。
安蔵 人の感じ方までコントロールはできないですからね。逆に自分は、万人受けするようなワインは造りたくないなというのがあります。万人受けしようとすると迎合してしまうというか、尖った部分も全部切り落としてしまうことになりかねない。そこで満足はしたくないな、と。
武田 どの世界も一緒ですね。能では謡本(うたいぼん)に朱入れといって、赤い字で基本的にどう動くかなどということが書かれていますが、それをどう表現したり解釈するかは、能楽師に任されている部分が多いんです。だから同じ曲を何度やっても、飽きない。それが能の奥深さでもあるのです。
安蔵 私も何度飲んでも飽きないと言われるような奥深いワインを造っていきたいですね。
●観世会 https://kanze.net/