取材・文/柿川鮎子 写真/木村圭司
災いから逃れることができるように、私達日本人はさまざまな「おまじない」をしてきました。効果はともかく、おまじないをすると、何となく安心できるような気分になるから不思議です。おまじないを通じて、人々の願いや気持ち、昔の人々の考え方を知ることができます。
私が幼い頃に流行ったおまじないは、葬儀や霊柩車に出会ったら親指を隠すもの。親の死に目に会えると信じられていました。ケガをした時、母親から「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んでけ~」とやってもらった人は多いはず。また、あがって失敗しないように、人という字を手のひらに書いて飲み込むなど、おまじないはIOT時代の今でも健在です。少女漫画誌『ちゃお』でも恋のおまじないコーナーは大人気で、年齢を問わず、おまじないは私たちの心に深く根付いています。
■子供の命を守りたいと願った母の愛情
難を逃れるおまじないや、幸せを呼び込むおまじないなど、おまじないの目的は様々です。日本では幼くして命を落とす子供が多かった時代が長く、子供が健康に育つようにと願うおまじないは、特にたくさん存在しました。赤ん坊の服に赤い布をつけて魔除けにしたり、南天の赤い実を枕元に置いたほか、着物に魔除けの鈴を付けました。中でも不思議なおまじないは、子供を犬にしてしまう「いん(犬)のこ(子)」です。
「いんのこ、いんのこ」と子供に向かって唱えます。「この子は犬の子で、人間ではありません。とるに足らない犬の子だから、神様どうか命を奪ったり、災いを与えたりしませんように」という親の願いが込められています。東北地方では、夜、赤ん坊をつれて外出しなければならない時に、「いんのこ、いんのこ」と言葉をかけると、安全に夜道を歩くことができると信じられていました。子供がくしゃみをしたり、風邪をひきそうな時も「いんのこ、いんのこ」と唱えました。
犬は人々の暮らしの近くにいる、ごくあたりまえの存在でした。特定の誰かが飼育していたのではなく、里犬として地域にいた身近な動物です。安産の象徴となっている犬のお産は、本当に安産なのか?、でも紹介しましたが、犬の出産は安産であるとは限らず、母犬や子犬が亡くなるケースも少なくありません。とはいえ、出産自体は人の目に触れない場所で行われていたし、病気の子犬はひっそり亡くなり、母犬は元気な子犬だけを連れて歩きました。犬のお産は軽く、生まれた子犬の成長率は100%だと誤解されたのです。
また、犬は人が住む地域と危険な野山の両方を、自由に移動しながら生きている動物であることから、異世界と現世界を自由に行き来できる動物、とも考えられていました。暗闇でも獲物を捕らえることができる能力をもち、鼻や耳が敏感で、人間には察知できない何かを感じ取ることができる力もつ、不思議な生き物とされ、人々はその力にあやかろうとしたのでしょう。
■額に犬の文字を書いて難から逃れる
「いんのこ」という言葉には犬の力を借りて、赤ちゃんが無事成長するようにと願った、親の愛情が込められています。「いんのこ」のおまじないは昭和初期まで、東北地方ではごく一般的に使われていました。その他、現在まで残っている犬に関連するおまじないや行事は「帯祝い」と「お宮参り」です。
「帯祝い」は安産祈願で、妊娠5か月の戌の日に、妊婦へ岩田帯を贈って安産を願う風習です。岩田帯は斎肌帯(いはだおび)が変化した言葉で、妊婦が戌の日に帯をもらい、安産の祈願をしました。最近は布でお腹を締めるのは健康上、好ましくないという理由で、帯祝いの風習は減っているようです。
「お宮参り」は、その地域を守る氏神様にご挨拶をして、生まれたばかりの子供の成長を願う行事です。生後一か月前後に行うことが多く、赤ちゃんの額に文字や印を書き込む風習が残っています。「あやつこ」、「やすこ」などと言われる印で、由来については研究者によって諸説ありますが、もとは犬と書いた文字が変化して大や×へと印が変化していったという説が有力です。
赤ちゃんは犬の力を借りて育ち、守られ、成長していくと信じられていました。大切な幼子を病気など災いから守るため、必死になった母親の願いが込められた犬のおまじない。いつの時代も母が子を思う気持ちに変わりはないことを、私達に思い出させてくれます。
子供と関係なく、犬や猫そのものに関するおまじないとしては、在原行平の和歌が有名です。「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」という歌を書いて、いつも犬や猫が使っている食器に貼ると、いなくなった犬や猫が返ってくるとか。「かなり効果がある」とSNSでは人気なので、やってみる価値はありそうです。
文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。
写真/木村圭司