ビニール傘を発明したのはなんと日本の中小企業。
雨風から人々を守る安心・頑丈な傘を目指し、研究に心血を注ぎ続ける。
戦争帰りの父がビニールに着目
下町情緒が色濃く残る東京・浅草。その一角に世界で初めてビニール傘を開発した「ホワイトローズ」がある。今やその商品は上皇后美智子さまや歴代首相も愛用するほど高い評価を得るが、同社の歴史は苦難の連続だった。
創業は江戸期の享保6(1721)年。「武田長五郎商店」として始まり、4代目で雨具商に、5代目で大名行列の雨具一式を作る幕府御用達となり、7代目で和傘問屋として各地に販路を広げた。順調に業績を伸ばしていたが、第二次世界大戦がその歴史を変える。当代・須藤宰氏の父、9代目の三男氏がシベリアに抑留され、帰国したのが昭和24年。戦後4年で他の傘メーカーが復興し、同社が入り込む余地がなくなったのだ。
「窮地の中で父が生み出したのが、傘にかぶせるビニール製の傘カバーでした。当時の傘は綿が主流で防水性が悪く、色落ちして衣服が汚れるという欠点があったのです」と須藤氏は語る。
商品は大ヒット。しかし、防水性が高く色落ちしないナイロンの傘が登場したことで、ニーズは下降。そこで三男氏が思いついたのが、総ビニール張りの傘の製作だった。不可能とされた縫製を当時最先端の接着加工で実現。温度変化に耐えるビニール素材をメーカーと共同開発。5年もの歳月を費やして完全防水の傘を作り上げたのだ。
幾多の困難を乗り越えて世界へ
ビニール傘は画期的な発明だったが、売り上げは伸び悩んだ。旧来の傘職人の技術を必要としないため、「こんなもの傘じゃない!」と既存の傘業界から抵抗を受け、販路を失ったのだ。
厳しい逆境の中で千載一遇のチャンスが訪れる。昭和39年、観光客として来日した米国大手洋傘流通会社のバイヤーが「ニューヨークで売りたい!」と、アメリカ輸出を持ち掛けてきたのだ。日本生まれのビニール傘が世界に羽ばたいた瞬間だった。
その後テレビで取り上げられるなど、国内でも定着していった同社の透明ビニール傘。現在は海外での大量生産による安価な類似品が出回り消耗品のイメージが強くなったが、同社の製品は性能も美しさも別次元。オレフィン系の多層フィルムを3枚重ねにした構造は撥水性に優れ、開くときにくっつかない。透明度が高く、視界の悪い雨の日も安心。雨の浸入を防ぎつつ内側の風を逃がす「逆支弁」によって、風にあおられる心配も不要だ。
「ハンドメイドで修理が可能なので、10年以上愛用しているお客さまも多いです。贈答用にも喜ばれます」と、須藤氏。究極の名にふさわしい名傘。ぜひ1本備えておきたいものだ。
【今日の逸品】
高級ビニール傘「かて~る16桜」
ホワイトローズ
10,800円(消費税8%込み)