取材・文/藤田麻希
縄文時代から現代まで10000年以上の歴史を誇る、日本の陶磁。そのなかで最も注目度が高く、また、後世に与えた影響も大きいのが、桃山時代の茶の湯に関わるやきものです。1600年前後のわずか30年ほどの短い期間に、産地を問わず、日本のやきものが盛り上がりました。不可思議な意匠が描かれていたり、歪んでひしゃげていたり、大きなひびが入って破れていたり、それまでの常識とはかけ離れた造形を尊ぶ、破格の美意識が生まれました。
桃山時代に日本のやきものが隆盛する理由にはいくつかありますが、その一つが、千利休が大成させた、侘び茶の流行です。15世紀まで、室内装飾品として尊ばれていたのは「唐物」と呼ばれる中国製のやきものでした。日本でもやきものは作られていましたが、中国製品の代替品としての唐物の写しにとどまり、それ自体が賞翫されることはありませんでした。
利休は信長、秀吉の茶頭として権力者の支持を得ながら、唐物の写しではない樂茶碗を長次郎に焼かせたり、竹を切って花入れにしたり、ひなびた草庵で茶会を営んだり、新しい美的価値観を広めました。こうして、唐物から、和物陶磁器が用いられる土台がつくられました。
さらに、利休の没後は、武将・古田織部が秀吉の茶頭となり、織部の好みを反映させた「織部焼」と呼ばれるユニークなやきものが登場しました。「織部松皮菱形手鉢」は、その典型的な例です。2種類の土、2種類の釉薬を用い、取っ手もつけた大胆な鉢です。
このような桃山時代の茶陶に注目した展覧会「特別展 新・桃山の茶陶」が、東京・根津美術館で開催されています。同館学芸員の下村奈穂子さんは、次のように展覧会について説明します。
「このたび根津美術館では、約30年ぶりに桃山の茶陶をとりあげる展覧会を開催します。“新桃山の茶陶”というタイトルには、前回の展覧会以来、30年間の研究成果をもとにあらためて桃山の茶陶を見つめ直そう、という意味がこめられています。前回の展覧会のときには解明されていなかった、生産と流通という観点をあらたにとりいれて展覧会を構成しています」
昭和62年から翌年にかけて、京都市の三条通りの発掘をしたところ、弁慶石町という町の一角から桃山時代のやきものが大量に出土しました。以後、その付近の中之町、油屋町、福長町、下白山町なども調査し、わずか200メートルほどの狭い範囲に、一般的な町家とは比にならないほどの、やきものが埋まっていたことが明らかになりました。
その後の文献や絵画資料の分析から、この辺の一画は当時「せと物や町」と呼ばれており、やきものを売り買いする商店が集まっていたことも明らかになりました。また、瀬戸物屋町の商人が全国の産地に赴き、陶工に都好みのものをオーダーし、できたものを仕入れて販売していた、という可能性も指摘されています。
「三条通は、いまの東京の表参道のような、当時最新の美意識を持っていた人たちがやきものを売ったり買ったりしていた場所でした。そして、出土したものを見ると、それぞれのお店に特徴があったこともわかります。30年ほどの短いあいだに爆発的に生産されて消えてしまったやきものですが、おそらくその盛り上がりにも三条の商人たちがかかわっていたのではないかと思います。展覧会は、国宝1件、重要文化財8件(11月20日以降は7件)を含む伝世の名品79件、それから出土資料を加えた合計85件をご覧いただく内容になっています。桃山の茶陶の新しい魅力に出会っていただければ幸いです」(下村さん)
桃山時代の茶陶は、外国産のやきものの真似ではなく、日本人が日本人のためにつくった造形である点で、それ以前のやきものとは違います。桃山時代の和物磁器の勢いを、ぜひ会場で体感してみてください。
【特別展 新・桃山の茶陶】
■会期:2018年10月20日(土)~12月16日(日)
■会場:根津美術館
■住所:〒107-0062 東京都港区南青山6丁目5−1
■電話番号:03-3400-2536
■公式サイト:http://www.nezu-muse.or.jp/
■開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
■休館日:月曜日
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』