取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
主食はバナナかパンのいずれかを選択。現代日本画壇を牽引する作家の、尽きぬ制作の糧は、糖質控えめの朝食にある。
【手塚雄二さんの定番・朝めし自慢】
日本画の革新者・横山大観に〈一切の藝術は無窮を趁ふの姿に他ならず〉という書がある。〈無窮を趁ふ〉とは、〈永遠を求める〉ほどの意味である。奇しくも高校生の時に、しかと意味はわからぬままにこの言葉に感銘を受けた手塚少年は、10年後の院展(※日本美術院主催の展覧会で、日本画公募展の最高峰)図録で再びその言葉と巡り合う。
「何か運命的なものを感じ、衝撃と感動すら覚えた。以降、迷いや不安、希望を作品にしてきました」
風景画に日本人の精神を宿す作家、手塚さんはそう振り返る。
昭和28年、神奈川県に生まれた。幼い頃から絵が得意であった手塚少年は、漠然と画家を志し、高校生の時に明確に東京藝術大学の日本画科を志望する。5年目にしてようやっと合格。平山郁夫に師事するが、最初から風景画を描いていたわけではない。
「当初は寓意的な人物を作品にしていましたが、思いがけず発想の枯渇に襲われた。30歳を過ぎた頃です。一から写生をし直そうと風景のスケッチを始めた。夢中で水辺や道を描いていると、その先に希望があった。私は風景画を描くことで救われたのです」
それは、自然の中に永遠のテーマとなる希望を見た瞬間だった。
絵のために食生活は節制
「平凡な日常こそ宝物だ」というのが、手塚さんの口癖である。絵を描くことに行き詰まった30歳過ぎに長女が誕生したが、妻は長期入院。妻に早く元気になってほしい、娘が健やかに育ってほしい、一枚でも良い絵が描けるようになりたい。そう願って、絵に祈りを込めて描いていた。その後、精進が結実して院展の文部大臣賞、内閣総理大臣賞など数々の賞を受賞。
そんな手塚さんの日常は規則正しい。朝食後、8時半頃からアトリエに入る。その朝食は糖質を抑えた献立だ。
「両親ともに糖尿病だったので、太るとその心配がある。実は甘党で、揚げ物も大好物。基本的に野菜は好きではないのですが、そこは節制と我慢。毎日、朝と夜の2回体重計に乗り、500gの増減を維持。それもこれも一枚でも良い絵を描きたいですからね」
運動嫌いを自認するが、教鞭を執る東京藝大までは10分ほどの徒歩通勤。また朝と晩、20回ほどのスクワットが最近の日課である。日本画家は前屈みで箔を貼ったりするので、腰痛にならぬための備えだという。
日本画と茶道具との時空を超えた美の競演を楽しむ
20年ほど前から茶道を始めた。自分にないものに挑戦し、モチベーションという筋力を身につけるには、茶道の世界にそのヒントがあるのではと思い至ったからだ。
「道具に銘をつけるのは茶道の世界だけでしょう。加えて、茶道は総合芸術です。その場となる茶室は日本文化が凝縮された、緊張ある美術的空間。これからはその空間を構成するひとつの要素としての日本画、それも究極の一枚を追求したいと思っています」
たとえば今、茶室には岡倉天心の書が掛かっている。安土桃山時代の水指に江戸時代前期の茶釜、細川護煕さんの茶碗を使う。ここに手塚さんの日本画を飾れば、時空を超えた美の競演となるだろう。
茶道との出会いをきっかけに、自然と向き合う作品から内なる自然、内なる宇宙へと、その作風はさらに深化を続けるに違いない。
※この記事は『サライ』本誌2018年12月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです(取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆)。