夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。木曜日は「旅行」をテーマに、角田光代さんが執筆します。
文・写真/角田光代(作家)
兵庫県の香美町(かみちょう)は、日本海側の町だ。縁があってこの町を題材にしたエッセイを書くことになり、蟹の季節に訪れた。エッセイを書くには、異なる季節にも来たほうがいいと考えていたところ、毎年9月に、「村岡ダブルフルウルトラランニング」という大会が香美町で行なわれていることを知った。
その町を知るには、もちろん何度も旅をするのがいちばんいいけれど、でも、カメラも荷物も財布も持たず、自分の脚だけで走ると、別の意味でもっとよくその町を知ることができる、と、ここ最近の旅ランで実感した私は、その大会にエントリーしてみた。
44km、66km、88km、100kmの部がある。私はもちろん44km。それだって、今まで走ってきた距離より約2キロ多い。
村岡地区の山田グラウンドというところが44km走者のスタートだ。参加者には熊よけの鈴がプレゼントされ、にわかに不安になる。いったいどんなところを走るのか……。
スタート後、しばらく平坦な道を走ったのちには上り坂が延々と続く。いつまで上りが続くのかとうつろな気持ちで走り、ときどき歩き、ああ、このマラソンはこうして山を越えていくものなのだな、と理解する。トレラン(トレイルランニング)という名称が使われていないのは、アスファルトの道が多いからだろうか。
10km地点を過ぎるとやっと下り坂になり、下りきったところに民家や商店や銀行があり、大きなエイドステーションがある。ここで配られているおにぎりが、見るからにおいしそうなのでひとつもらって食べたところ、目がくらむくらいのおいしさ。ついもうひとつ食べようとする私の耳に、「すぐに大仏さんのところでおはぎがもらえるから」「そうだね、ここは我慢しておこう」というランナーたちの会話が耳に入った。何? おはぎ? おにぎりにのばした手を引っ込めて、おはぎに向かって走る。
またしても上り坂を進むと、世界最大級といわれる三大仏があることで有名な長楽寺がある。広大な敷地の奥に大仏殿があり、金箔を貼られたものすごい大きさの大佛が並んでいる。
大仏殿の一角にデパートの食堂よろしくテーブル席が並び、ランナーたちが座ってお茶を飲み、おはぎを食べている。これか、と私も席に着く。ボランティアの高校生らしき若い子たちが、即座にお茶とおはぎを持ってきてくれる。光り輝く大仏の下で、汗だくのランナーたちが大勢テーブルに着きお茶を飲みおはぎを食べている、これは異様な光景である。異様ながら、忘れがたいいい光景でもある。
そこから私の懸念の通り、山を上って下って、するとまた山があらわれて、それを上って下って、ということをくり返すコースである。
上り坂はきつすぎて走れず、ほとんど歩いてしまうのだが、それにしても周囲の光景が息をのむほど美しい。まるで自分が民話の世界に入りこんでしまったかのようだ。遠くに折り重なる山の尾根、その山を覆う様々な種類の緑。ところどころに見える民家の屋根と、何か燃やしているのか、そこからたなびく煙。緑だったり、薄茶色だったり、色を変えながら続く田んぼ。雲が動くと、その田んぼに映る影も静かに這う。商品名を書いた看板も、コンビニエンスストアも、ひとつも見当たらない。なんと完成された世界だろうと思った。そんな、民家すらない道を走っていると、ふと角からカートを押して歩く老婦人があらわれて、「がんばってな」と笑顔を見せて、それもまた、現実味がなく、民話のなかにいる感覚を強める。
マラソン大会は、日本だけでなく世界的なブームで、いろんな大会に各国からのランナーが参加しているが、この美しい里を走る村岡の大会こそ、外国人旅行者に参加してほしいと走りながら思った。はじめて見るのになつかしい、こんなにも日本的な光景を知ってほしいと、自分のふるさとでもないのに思ったのである。
熊には遭遇せずに完走できたが、44kmのアップダウンは本当につらかった。もういやだ、二度と走るものかと思いながら帰ってきた。しかし日がたつにつれ、エイドステーションで食べたおにぎりをどうしてももう一度食べたい思いが募ってくる。走りに、ではなく、おにぎりを食べに、またエントリーしてしまいそうでこわい。
文・写真/角田光代(かくた・みつよ)
昭和42年、神奈川県生まれ。作家。平成2年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。近著に『私はあなたの記憶の中に』(小学館刊)など。