数あるニッポンの国宝のなかで“最も小さな国宝”が、「金印」(福岡市博物館蔵)である。「漢委奴国王」の5文字が印面に彫られており、『後漢書』「東夷伝」に光武帝が紀元57年に倭(わ)の奴国王(なこくおう)に下賜したと記述されている印だと考えられている。
「奴国」とは、『三国志』「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に、邪馬台国(やまたいこく)、投馬国(とうまこく)に次ぐ大きな国と記された国で、今の福岡市から春日市一帯にあったと考えられている。
当時、金製の「印」は漢の諸侯王に与えられるものだった。つまり奴国が後漢王朝に朝貢使節を派遣したところ、光武帝から「おまえを諸侯の1人に認めるぞ」として贈られたものなのだ。
ちなみにこの「金印」は文字のほうが彫られてくぼんでおり、今の印鑑のように朱肉を押して使うものではなかった。「封泥(ふうでい)」といって、文書を入れた荷にかけた紐の結び目を粘土の塊で封じた上に、この印を押して文字を浮かび上がらせ、文書の盗み見を防いだものだという。
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さて、この金印の印台の上には小さなつまみ(「鈕(ちゅう)」)がついている。そこには、小さな蛇がとぐろを巻きながら振り返っているのをご存じだろうか。
中国の漢代の印では、このつまみの部分にさまざまな動物が用いられている。皇帝や皇后は伝説の動物をかたどった「螭虎鈕(ちこちゅう)」、皇太子や大将軍などの高官は「亀鈕(きちゅう)」、諸侯王と北方異民族はラクダをかたどった「駝鈕(だちゅう)」、そして南方の諸民族には「蛇鈕(じゃちゅう)」が与えられた。つまり奴国は南方の民族と誤解されていたらしい。
「金印」のつまみに描かれた蛇には、小さな丸い文がびっしり描かれている。その数127個。ちなみにそのうちの2つはくりくりとした目である。
では残り125個の丸文は何かというと、蛇のウロコを表している。この文様は魚卵のように見えることから「魚子(ななこ)」と呼ばれる彫金技法。その造形をさらに際立たせているのが、なんといっても純度の高い金の煌きだろう。
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この「金印」は、江戸時代の天明4年(1784)、志賀島(しかのしま。福岡市)の田んぼの中から農民によって発見された。何でも、田んぼの溝にあった大きな石が邪魔なので、二人がかりで持ち上げたら、光り輝くものが出てきた、という。まるで『竹取物語』みたいな話である。
その純度は95.1%。およそ23金に相当するという。そのため、こんなに小さいのに、108.729グラムもあるという。手のひらに載せてみたいが、かなうはずもない。じっくりと見たいが、あまりに小さすぎてそれも難しい。
『週刊ニッポンの国宝100』3号「燕子花図屏風・金印」(小学館)では「金印」を5倍と10倍のスケールで大きく拡大して掲載されており、まるで拡大鏡で見るように細部がよくわかる。
実物は京都国立博物館で開催中の「国宝」展にも出展される。ただし「金印」の展示期間は10月31日~11月12日までなので要注意だ。
【開館120周年記念特別展覧会 国宝】
■場所:京都国立博物館(京都・東山)
■開催期間:10月3日(火)~ 11月26日(日)
■開館時間:9時30分~17時(入館は閉館の30分前まで。ただし金曜・土曜は21:00まで開館)
■休館日:月曜(ただし10月9日(月)は開館、10日(火)休館)
■料金:一般 1500円
■問い合わせ先:075-525-2473(テレホンサービス)
【週刊『ニッポンの国宝100』特設サイト】
http://www.shogakukan.co.jp/pr/kokuhou100/
取材・文/まなナビ編集室
※この記事は小学館が運営している大学公開講座の情報検索サイト「まなナビ」からの転載記事です。
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