文・絵/牧野良幸
『素晴らしき日曜日』は黒澤明監督の1947年(昭和22年)作品である。クロサワ映画としては地味な部類に入るかと思う。それでも『素晴らしき日曜日』は何度も観てしまう映画なのである。
戦争の傷跡がまだ残る東京。雑踏の行き交う駅で、雄三(沼崎勲)と昌子(中北千枝子)がデートの待ち合わせをする。
雄三は最初からずっと“スネ夫”である。戦争中に兵隊に取られてから性格が変わってしまったのだ。「15円しかないんだ」と今日のデートも気乗りがしない。「私は20円あるわ、お金がなくたって」と昌子が言う。二人合わせて35円。
これを今のお金にすると3,500円くらいらしい。確かにこれでは厳しい。しかし楽天的な昌子(底に穴のあいた靴をはいている)は、雄三を無料の住宅展示場に連れていき、一緒に暮らす日を夢見ようとする。雄三はそんな昌子を、現実を見ていないと責めるのであるが。
このあとも貸間探しに失望する。子どもの草野球に参加して、雄三の打ったボールがまんじゅう屋の看板を破り弁償させられる。戦友の経営するキャバレーに行くも不遇な扱いを受ける。音楽会の切符を買い占めたダブ屋に殴られるなど、二人を落ち込ませるエピソードが続く。
二人がたどり着くのは雄三の下宿だ。昌子しかいない雄三は彼女の身体を求める。怯える昌子もなんとか応えようとコートに手をかけるが泣き崩れてしまう。雄三は昌子の気持ちに初めて心を打たれるのだった。この長いシーンで、ふりしきる雨、コントラプンクトなど、黒澤明らしい手法が使われている。
このあと喫茶店でふっかけられて二人の所持金はなくなってしまうが、雄三は瓦礫の家跡で自分たちの店“ヒヤシンス”の夢を語る。「良心的なコーヒー店を作ろう」。昌子も「売り物は女房手製の可愛いお菓子」と早くも女房気取りである。
クライマックスは野外音楽堂のシーンだ。木枯らしの吹くステージに立った雄三はシューベルトの「未完成交響曲」を昌子に聴かせようとする。しかしどんなに指揮をしてもオーケストラの音は聞こえてこない。
ここで昌子はなんと観客(つまり僕達)に向かって訴えるのである。雄三を励ますために「どうか拍手をしてやってください」と。若き黒澤らしい実験的シーンだ。
黒澤明によれば日本の観客は恥ずかしがって拍手をしないが、フランスの映画館では大きな拍手が沸き起こるのだという。僕はホームシアターだから一人で観ているけれども、それでもやはり恥ずかしい。1回だけ拍手をした事があるが。
こうしてデートは終わった。「じゃ、お休み」と雄三が言えば、「またこの次の日曜日……」と言い昌子は電車に乗る。夜のホームに一人たたずむ雄三はもはや“スネ夫”ではない。映画の始まりとは違う人間になっていた。
これぞ黒澤明ならではのヒューマニズム。質素な映画だけれど、どんな大作にも負けない味わいがある。
【今日の面白すぎる日本映画】
『素晴らしき日曜日』
■製作年:1947年
■製作・配給:東宝
■モノクロ/85分
■キャスト/ 沼崎勲、中北 千枝子、 菅井一郎、渡辺 篤、有山緑、 中村是好、内海突破、並木一路、 清水将夫
■スタッフ/監督:黒澤明 脚本:植草圭之助、音楽:服部正
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp