文・絵/牧野良幸
『赤線地帯』は1956年(昭和31年)公開、溝口健二監督の遺作である。
年齢を重ねた人ならば「赤線」という言葉から映画の内容を想像してしまうことだろう。確かにこれは吉原で働く女たちを描いた映画である。ならばエロティックな描写があるのではないかとドキドキしても仕方あるまい。
映画が始まるや、まるで『ウルトラQ』のような不気味な音楽が流れてくる。ピンク色の妄想をいだいていたこちらは、いきなり面食らうものの、これが男と女の愛欲や騙し合いを暗示しているのかと気をとりなおす。タイトルバックに映される浅草の風景も深い樹海のようである。この街でどんな出来事がおこるのだろう……。
と思わせて実は『赤線地帯』には濡れ場もなければ、不思議な現象も起きない(やっぱり『ウルトラQ』じゃなかった)。この映画は吉原で働く娼婦たちを描いた、ズバリ群像劇なのである。
一人息子のために働くゆめ子(三益愛子)、病弱の亭主と乳のみ子のために働くハナエ(木暮実千代)、父親の借金が原因でお金に執着するようになったやすみ(若尾文子)、田舎に嫁入りしたものの破綻するより江(町田博子)。
そこに金持ちの父親に反発して身を崩した関西娘ミッキー(京マチ子)が新人としてやってくる。
以上が「夢の里」で働く女たちである。彼女たちはそれぞれ悲しい現状を背負っているが、溝口健二はどこまでもカラッと描いている。
なんといってもゆめ子の“グダグダ感”が強烈だ。「お遊びして、ね、お遊びして」と客の袖をつかむ姿は“日本の母”三益愛子とは思えない。180度違う女になりきっている。
『祇園囃子』で艶やかな芸妓を演じた木暮実千代が、まさかの草履ばきで赤ん坊にミルクをやる姿も必見。たとえ亭主が自殺を計ろうとしても、ハナエは最後まで生き抜く気迫を見せる。
やすみが男客から金を巻き上げる手口はまさに“悩殺”だ。同じ男として「これには気をつけないと」と思うが、現実に若尾文子のような女に言い寄られたら誰だって逆らえないだろう。
そしてミッキー。自分の身体を「ヴィーナスや!」「八頭身や!」と讃える転身爛漫さ。京マチ子以外、誰がこの役をできようか。
このように映画は娼婦たちの辛い境遇を描きながらも、どこかコメディのようである。しかし喜劇のオブラートに包んでいるからこそ、行間に悲しみを感じ、彼女たちのそばに寄り添うことができるのだと思う。
というわけで『赤線地帯』は何度でも観たくなる映画である。僕が「夢の里」を訪れるのはこれで何回目になるだろうか。
【今日の面白すぎる日本映画】
『赤線地帯』
■製作年:1956年
■製作・配給:大映
■モノクロ/85分
■キャスト/京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子、沢村貞子
■スタッフ/監督:溝口健二 脚本:成澤昌茂、音楽:黛敏郎
文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』『オーディオ小僧のいい音おかわり』(音楽出版社)などがある。ホームページ http://mackie.jp