文/鈴木拓也
北海道函館市で創業した和菓子店として、最も古くからあるのが『千秋庵総本家』だ。創業は、江戸末期の万延元年(1860年)にまで遡る。
当時の函館(箱館)は、日米和親条約と日米修好通商条約によって開港したばかり。国際化ラッシュの激動のさなかで、人口は見る間に増えていった。そんな箱館で一旗上げようと、港の働き手相手に食べ物や菓子の立ち売りを始めたのが、秋田藩士であった佐々木吉兵衛。これが『千秋庵総本家』の始まりとなった。
ちなみに屋号は、佐々木が秋田を懐かしむ想いからつけられたという。
千秋庵の初期の商品は、フキや昆布を原材料としたお菓子で「渡島ふき」と「蝦夷錦」という名称がついていた。店は繁盛し、やがて明治20年近くなって新店舗を構える頃には、道内有数の菓子商として名を轟かせていた。
佐々木吉兵衛の没後、襲名した2代目、3代目の佐々木吉兵衛が繁栄の礎を築いた後に、4代目として店を受け継いだのが松田咲太郎という人物だ。
松田は東京出身の菓子職人で、在京の有名菓子店の工場長を歴任し『日本菓子技術奨励会』の技術責任者を務めるなどして活躍した後に、満を持して函館にやってきて店を継いだ。そして今にいたる名物となった「どらやき」と「元祖山親爺」の生みの親となった。
現在は孫の松田俊司氏が、6代目として本店を含む市内4店舗を切り盛りしながら、店を守っている。
さて、4代目の松田咲太郎は東京時代に「どらやき」の製法を後進らに指導しており、今も都内有名店にその味が引き継がれているという。そんな咲太郎が『千秋庵総本家』の看板商品に育て上げたのも「どらやき」だ。
手で選別した道南産の大納言小豆を3日間かけて炊いてできた「甘くても甘く感じない」粒あんを、手間ひまかけた「宵ごね」で仕込んだ皮で包んだどらやきは、まさに逸品である。
昭和初期に生まれ、長く愛されてきたロングセラーが「元祖山親爺」(山親爺は熊の意味)。一見、煎餅を思わせるが、実は小麦粉、牛乳、白玉粉、バターを使用した和洋折衷菓子である。
白玉粉は、米どころ新潟のもち米から作っているが、バター・牛乳は道内産を使い、一枚一枚手作業で仕上げる。硬すぎず、口の中で溶けるような風合いが特色で、長年のファンも多い。
『千秋庵総本家』は、新製品の開発にも意欲的で、2016年3月の新幹線函館開通にあわせ、満を持して発売が開始された「函館散歩」は、試行錯誤を重ねて完成まで3年をかけたという自信作である。
厳選した小豆から練り上げたこしあんを、道産小麦粉と牛乳の生地で包み焼き上げている。表面には函館の散策地として人気の高い、五稜郭、ハリストス正教会、金森倉庫群の模様が入り、観光みやげとしても最適だ。
歴史の風格を感じさせる佇まいの『千秋庵総本家』宝来町本店は、函館のランドマークである高田屋嘉兵衛像の近くに位置する。名物の菓子を求めて、函館観光の折には立ち寄ってみてはどうだろう。
【函館最古の和菓子店】
『千秋庵総本家』
住所 | 北海道函館市宝来町9-9 |
電話 | 0138-23-5131 |
FAX | 0138-27-5581 |
公式サイト | http://www.sensyuansohonke.co.jp |
営業時間 | 9:00~18:00 (冬期は9:00~17:30) |
定休日 | 水曜 |
文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。