今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「すべてこの世の中に生れて来た人間は同じ人間だ。ある人間が幸福にばかり暮し、ある人間が不幸にばかり暮すという道理は無い。元来社会は不完全だから、多くの人は不幸を感じているのだ」
--押川春浪
小説家・押川春浪(おしかわ・しゅんろう、本名・方存)は、明治9年(1876)愛媛県松山市で生まれた。父の方義は日本キリスト教会の元老となった人物で、東北学院の創設にも関わった。その父の性格を受け継いだのか、押川春浪も潔癖で剛直な人柄。だが、時に勢い余って粗暴に走るところがあり、放校処分を受けるなどして学校を転々とした。
そんな春浪にも、最後に入った東京専門学校(現・早稲田大学)のバンカラな校風だけは馴染んだらしく、英語科を卒業し、さらに政治科にも学んでいる。
この政治科在学中、春浪24歳の折に書いたのが小説『海底軍艦』。作家・巌谷小波の推薦を得て単行本として出版され、血気盛んな明治の青少年からの熱い支持を受けた。このとき若い作者の才を見込んだ巌谷小波は「春波」の号を与えたが、その2字では少しおとなし過ぎると感じたのか、自ら「春浪」に改めたという。
ちなみに、夏目漱石は一時期、東京専門学校の教壇に立っているが、春浪の入学は漱石の退任後だった。
押川春浪はその後も奔流の如く、次々と冒険小説を発表した。傍ら、巌谷小波の紹介で博文館に入社し、雑誌『冒険世界』の主筆もつとめた。同社退社後には、小杉未醒らと雑誌『武侠世界』を創刊している。
掲出のことばは、小説『銀山王』の中で、春浪が登場人物の隠者に言わせた台詞。隠者はつづけて言う。
「おれは不公平な事が大きらいだ。この世の中の貧富貴賤皆苦楽が
平均しておらなければ嘘だ」
格差の是正は、いつの時代の社会にもある課題。春浪はそこに真正面から気持ちをぶつけている。
押川春浪は非常なスポーツ愛好家でもあった。主筆をつとめる雑誌『冒険世界』の主催で、学生のための運動競技会をおこなったこともあった。とりわけ夢中になったのは野球。天狗倶楽部という同好会を組織し、仲間とともに野球をはじめとするスポーツを享受し、普及に努めたのである。
実は、博文館を辞めたのも、野球がからんでいた。東京朝日新聞が野球弊害論を掲載した折、その筆者のひとりである新渡戸稲造を大虚言家と批判するなどして痛烈に反撃した春浪のやり方が、社の方針にそぐわなかったのだという。
大正3年(1914)、病没。作家仲間で酒友でもあった大町桂月は、その死を悼みこんな一文を寄せている。
「春浪君は、澆季(ぎょうき)の世に、よくもかかる快男子がと思わるる人なりき。金銭を視ること土芥の如く、死を視ること帰するが如く、不義不正を視ること蛇蝎の如く、明治の文壇に冒険小説の一派を開きて士気を鼓舞し、兼ねて運動に青年を鼓舞せり」(『酒に死せる押川春浪』)
38歳での早世だった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。