今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「人はえらい人から凡俗まで曲りそうになる心をためなおして行くものであろう。それがえらい人のははたから見ればいつも真直(まっすぐ)に見える」
--森鴎外
明治の文豪としてしばしば夏目漱石と並び称される森鴎外が、大正10年(1921)11月15日付で、妻のしげ子あてに出した手紙の中の一節である。
人間というのは、いつもなんの迷いもなく、正しくあるべき姿を貫けるものではない。さまざまな欲望や損得勘定にとらわれたり、外からの誘惑もあったりして、ふと過ちをおかしてしまう恐れも、往々にしてある。あるいは、逆風を受けつづけていると、知らず知らずのうちに、性格や生き方が、いじけたり、ねじ曲がったりしてしまうこともあり得るだろう。
そういう自己の姿勢を、ことあるごとに自分自身で意識して正していく。人生とはその繰り返しであると、鴎外は述べている。周囲からは、そんなこととは無縁のように見える偉い人でも、同じことをしているというのである。
念のため付け加えておくと、掲出のことばの「ためなおす」は「矯め直す」であり「矯正する」の意。
この手紙を書いたとき、鴎外は齢59。軍医総監にまでのぼりつめた陸軍はすでに辞したものの、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任ぜられ、数年前から毎秋、正倉院曝涼のため奈良へ出張するのが習わしとなっていた。その奈良から、18歳年下の妻へと手紙をしたためたわけなのだ。
鴎外は、こうも書いている。
「大臣になるような世わたり上手はその真直に見える外かわだけに骨を折る。真直に見えるように心からしあげるのが真の人物であろう」
外側のお体裁だけを整えて要領よく出世し嬉々としているような世渡り上手は、鴎外の目から見ればお笑い種でしかない。まして、昨今は、その「外かわ」さえまっすぐに見せることができず、スキャンダルを巻き起こす大臣や国会議員が少なくないのだから困る。
さて、同じ手紙の中で、鴎外は、どうやって自分を立て直せばいいかというところにも言及している。すなわち、
「曲るものをためなおす定木(じょうぎ)は仏法でも西洋哲学でもなんでも好い、ただ香をたいて安坐していても好い」
要は、ひとつの基準のようなものを持って、自分自身で自分をしっかりと見つめ直すことしかないということであろう。
鴎外はこの翌年、60歳で病没した。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。