今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「私は地獄へ行く方が良い。極楽など何事もない退屈なところには住めたものではない」
--土光敏夫
東芝の経営基盤が揺らいでいる。平成28年度の赤字は1兆円超となる見込み。福島第一原発の事故後も原発を事業の柱としてきた経営戦略が、大きな失敗であった。
過去にも、東芝の業績が著しく低迷した時期がある。それを立て直したのが、昭和40年(1965)に乞われて社長に迎えられた土光敏夫だった。
土光敏夫は、明治29年(1896)岡山の生まれ。東京高等工業(現・東工大)機械科卒業後、石川造船所に入社。石川島播磨(IHI)の社長、会長などをつとめた。
東芝の再建を引き受けたとき、土光は社員に向かってこんな叱咤激励を飛ばした。
「社員はこれまでの3倍働け。重役は10倍働け。僕はそれ以上働く」
要は、惰性を脱する意気込みの問題だろう。
もちろん、土光は有言実行する。社長室を「馬小屋」並みに改装させ、用意された専用外車を断って愛用の国産中古車を持ち込んだ。毎朝7時半には出社し、全国の工場、営業所へは夜行でトンボ帰りした。「財界の荒法師」の異名は、そんなところから生まれた。
その後も経団連会長をつとめるなど、土光はいわば、実業界のトップにのぼりつめた人物。でいながら、私生活は極めて質素。自宅で奥さんと囲む夜の食卓には、メザシ、梅干し、キャベツの外皮、大根の葉、玄米が、当たり前のように並んでいた。そんな姿勢そのままに、徹底した合理化でつぶれかかった企業を建て直したのだ。
精神の根底には、「社会は豊かに、個人は質素に」という明治生まれの気骨があっただろう。晩年は、老躯に鞭打って、政府の臨時行政改革推進協議会会長として行革にも取り組んだ。
この荒法師、彼岸に至っても、休むことなど微塵も考えていなかった。だからこそ、掲出のような激烈な言葉をこの世に遺して、黄泉路をたどったのである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。