出汁の芸術「おでん」の真骨頂!開高健も惚れ込んだ『たこ梅』の関東煮(かんとだき)

写真/小林禎弘

文/鈴木隆祐

わが国では、冬場になると各コンビニがおでん販売競争を繰り広げるが、セブン-イレブンともなると、全国8地域でそれぞれ出汁の味が違うというのをご存知だろうか?

関東は、かつお節・昆布・宗田かつお節の組み合わせが基本味。近畿ではそこに昆布を強化し、さらに牛と鶏エキスが入る。九州では昆布の代わりに、あごと椎茸出汁が加わる。それだけ地方色が出やすいおでんは、ある意味、各地方の郷土料理と言えるだろう。

大阪人はことに「関東煮(かんとうだき)」という呼称にこだわる。しかし、大阪で食べるような濃厚な出汁のおでんは、実際には関東にない。これぞ和食最大のパラドックスである。

よく言われるように、茹でたり焼いたりした具に味噌を塗る「田楽(でんがく)」が「おでん」の始まり、というのが通説である。今の煮込むおでんになったのは、千葉県の野田や銚子など、関東で醤油作りが盛んになった江戸末期以降という。

つまり醤油を利かせた出汁に具材をただ放り込み、ぐつぐつ煮るだけの、京・大坂人からしたらいかにもゲテな食い物を、半分蔑んで“関東煮”と呼んだのだ。

しかしこの“怪味”が、食にうるさいはずの関西人を虜にする。というのも、関東からおでんが流入した際、関西風にうんと昆布出汁を効かせると、あれまぁ不思議、実に美味い煮込みとなったのだ。竹輪などの種物からよい出汁が出る、という効果もある。

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作家の開高健は、創業1844年という大阪いや日本最古の関東煮屋『たこ梅』の大ファンだった。同店は、かの『なだ万』を実家とする俳人・楠本憲吉もつねに賞揚し、織田作之介の『夫婦善哉』で店を開こうとする主人公が研究のために訪問したと書いた店であり、池波正太郎や吉田健一など名だたる作家が愛好した老舗だ。

開高もよく店を夫人との待ち合わせに使い、勤務していたサントリー宣伝部を退社して専業作家となってからも、暮れになると、好物のさえずり(鯨の舌)を先代の主人に東京まで届けさせていたという。

開高はグルメ随筆でも知られたが、食そのものをテーマに書いた小説は2冊しかない。うち一冊の『新しい天体』で、関東煮がいかに作られるかを巧みに描出してもいる。

浅黒い顔をした当主はブッスリしたままサトイモやチクワやコンニャクなどをぐつぐつ煮えたぎる鍋に入れ、そこへサエズリの串をつっこみ、ときどき透明なダシをザブッとそそぎ、黄ザラの砂糖をひとつまみ、ごく無造作な手つきでほりこんだりする。

関東煮は実は、大阪の堺に住む多くの広東人が色々の食材を大鍋でグツグツ煮て食べていたのを、たこ梅の初代が見て、「広東煮」と思い込んだとの説もある。そのごった煮感がよく出ている描写だ。

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たこ梅の場合、味醂を多くすると種が固く煮えるので、あまり使わず、砂糖と日本酒とで独特の甘みを出す。黄ザラとは三温糖と同じ製法で作るザラメのこと。製糖の工程で最後に残った糖液から作るので、何度も加熱・結晶化を繰り返した結果、軽くカラメル色を帯びている。

ゆえに出汁を柔らかく仕上げるのだろう。そして、あくまで透き通った出汁は淡口醬油を主体に調味しているはずなのに、煮込むほど深い飴色に色づいていく……。

かつて鯨が大衆食だった時分、関東煮はコロ(脂抜きした皮)など具材に鯨を多く用いて、それが出汁にコクを加えてもいる。たこ梅は今なお鯨のタネを用いるので、固定ファンが多い。

錫のコップで飲む白鹿の上燗酒で、よく煮染められたトロトロのさえずりを喉に流し込む感触はまさに至福だ。具材から出る濃厚な風味に負けないよう、しっかり出汁を効かせた。この関東煮こそが、おでんである。

写真/小林禎弘

文/鈴木隆祐
1966年生まれ。著述家。教育・ビジネスをフィールドに『名門中学 最高の授業』『全国創業者列伝』ほか著書多数。食べ歩きはライフワークで、『東京B級グルメ放浪記』『愛しの街場中華』『東京実用食堂』などの著書がある。

写真/小林禎弘(『サライ』本誌2014年12月号より転載)

『サライ』本誌2017年4月号は「出汁(だし)」を特集しています。

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