取材・文/前川亜紀
2026年4月、「軍艦島に56年ぶりの新築・研究拠点施設が完成した」というニュースを見た。軍艦島は、2015年に世界遺産に認定されてからいつか行きたいと思っており、すぐに航空券と軍艦島ツアーを予約した。

海上の廃墟群、軍艦島は崩壊のカウントダウンが始まっている
軍艦島の正式名称は端島炭鉱という。長崎港から南西約19キロの海上にある人工島で、幅は約160m・長さは約480m、面積は約6.4haと狭い。この空間に1960年頃の最盛期は約5300人が居住していたというから驚くばかりだ。彼らの主な仕事は石炭を掘ること。炭鉱というと、筑豊(福岡県)や夕張(北海道)のように、山を掘るイメージがあるが、端島炭鉱の“鉱山”は海底約600mにある。鉱員たちは秒速8mの昇降機で海底に降り、24時間365日、3交替制で作業をしていたという。現在のような技術がない明治・大正・昭和期に海底で石炭を掘る。その仕事の過酷さを想像すると身震いがする。
端島炭鉱の歴史は1810(文化7)年、漁民が石炭を発見したことから始まる。やがて三菱に経営権が移り、1890(明治23)年に本格的な開発が始まる。端島炭鉱で採れる石炭は良質で、製鉄用原料炭として供給される。主に官営八幡製鉄所に送られ、製鉄・製鋼の原料となった。日清戦争、日露戦争、第二次大戦などを経て、1974(昭和49)年に約84年間の歴史を閉じる。端島炭鉱は日本の近代化のみならず、戦後復興にも貢献し、歴史の表舞台から姿を消してしまったのだ。

35年間、端島炭鉱こと軍艦島はその時間を止めたまま、海上に佇んでいた。再び脚光を集めたのは、2009年ユネスコ世界遺産暫定リストの国内候補となったこと。旧グラバー住宅などとともに「明治日本の産業革命遺産」として、全国8県11市の23の構成遺産のうちの一つになったのだ。
これを受けて、2009年4月に観光上陸が許可された。それから6年後、2015年に世界遺産に認定される。軍艦島内での世界遺産の対象は、明治期の石炭掘削坑と、赤土と石灰を混ぜた凝固剤で自然石を積み上げる「天川(あまかわ)工法」を用いた護岸だ。

訪れる人を魅了するのは、かつて人が暮らしていたことがわかる、居住施設の遺構だが、ここは世界遺産の対象外だ。1916(大正5)年に竣工した日本初の高層鉄筋コンクリートアパート(7階建・30号棟)ほか林立する30棟以上のアパート群、病院や学校などは、現在、台風や荒波など自然の猛威に晒され、鉄骨の露出や外壁の崩落が起こり、崩壊のカウントダウンが始まっている。

しかし、現在は、建築学的な観点からも価値が認められ、調査と保護が進みつつある。世界的にもこれほど狭い場所に5000人以上の人が暮らせるだけの生活機能を凝縮・内包した海上都市空間は例がないという。
「ギリギリまで許可は出ません」果たして軍艦島に上陸することはできるのか?【次のページに続きます】











