
鎌倉右大臣・源実朝(みなもとのさねとも)は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の次男で、母は「尼将軍」北条政子です。建久3年(1192)に生まれ、父が亡くなった後、兄・源頼家が政争で追放されると、建仁3年(1203)にわずか12歳で鎌倉幕府第3代将軍となりました。しかし実権は北条氏に握られており、政治には積極的に関わりませんでした。
その代わり、京都の宮廷文化に憧れ、和歌と蹴鞠に没頭。藤原定家から和歌の指導を受け、万葉調の雄壮な歌風を確立し、家集『金槐和歌集』をまとめました。
たび重なる内乱に疲弊した実朝は、やがて朝廷への官位昇進を強く望むようになり、建保6年(1218)には右大臣にまで昇り詰めました。しかし翌年1月、就任を祝う鶴岡八幡宮での儀式の直後、甥の公暁に暗殺され、わずか28歳の生涯を閉じました。これにより源氏嫡流の将軍は断絶しました。
鎌倉右大臣の百人一首「世の中は~」の全文と現代語訳
世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手(つなで)かなしも
【現代語訳】
この世の中よ、どうかいつまでもこのままであってほしい。渚を漕いでいく漁師の小舟が、綱手で引かれていく様子が、しみじみと切なく感じられることよ。
『小倉百人一首』93番、『新勅撰集』525番に収められています。実朝は渚を漕ぐ小さな漁師の舟が綱手で引かれていく、ごく日常的な光景を見つめながら、「世の中よ、このままでいてくれ」と祈っています。権力闘争の渦中にあった実朝にとって、この素朴な漁師の姿は、安らぎであり憧れであったのかもしれません。
実朝は、万葉調の雄大で率直な表現を好んだ歌人でした。技巧を凝らすというより、景物を通して心を素直に出す。そのため、この歌にもわざとらしさがありません。海辺の小舟に託して、変わりゆく世への思いを自然ににじませています。

鎌倉右大臣が詠んだ有名な和歌は?
鎌倉右大臣が詠んだ他の歌を紹介します。
箱根路を 我が越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよる見ゆ
【現代語訳】
箱根路を越えて来ると、伊豆の海が見える。沖の小島に波が寄せているのが見えることだ。
『続後撰集』1312番に収められています。この歌は、箱根権現・伊豆山権現へ参詣した際の作です。実に素直な叙景ですが、だからこそ風景の広がりが鮮やかです。この歌は、実朝が実際に見た景色の感動を、そのまま歌にしたような魅力があります。
百人一首の歌にあるような哀感とはまた違い、旅の爽快さ、海の大きさが感じられます。

もののふの 矢並つくろふ 籠手(こて)のうへに 霰(あられ)たばしる 那須の篠原
【現代語訳】
武士たちが矢を整える、その籠手の上に霰がぱらぱらと激しく降りかかる那須の篠原よ。
武家の将軍である実朝ならではの感覚が光る、『金槐和歌集』に収められた一首です。戦の気配を感じさせる緊張感の中に、冬景色の厳しさが重なります。公家歌人には出しにくい題材を、実朝は見事に歌に取り入れました。
ここに、武家政権の将軍として生きた歌人の独自性があります。百人一首の一首だけでは見えにくい、実朝のもう一つの顔といえるでしょう。
鎌倉右大臣、ゆかりの地
鎌倉右大臣ゆかりの地を紹介します。
鶴岡八幡宮
鎌倉の象徴である鶴岡八幡宮は、源実朝にとって栄華と悲劇が交錯する舞台です。承久元年(1219)、実朝は右大臣拝賀の儀式のためこの地を訪れました。雪が降り積もる夜、儀式を終えて本宮の石段を下りてきた実朝は、大銀杏の陰に潜んでいた甥の公暁に急襲され、28歳の若さで命を落としました。
これにより源氏の正統な血筋は途絶えることとなります。
公暁が隠れていたとされる「隠れ銀杏」は、平成22年(2010)に強風で倒れてしまいましたが、現在はそのひこばえ(若芽)が力強く育っており、実朝の生きた証を今に伝えています。実朝が愛した鎌倉の空気を肌で感じ、彼の繊細な歌心に思いを馳せるには、欠かせない聖地だといえるでしょう。
最後に
政治的には翻弄され続けた鎌倉右大臣こと源実朝が、最後まで信じ続けたのが和歌の力でした。
「世の中よ、どうかこのままでいてくれ」
その祈りは、800年以上たった今も変わらず、読む者の心に届きます。激動の時代を生きる皆さんにとっても、実朝の歌はきっと、どこか共鳴するものがあるのではないでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp











