文/鈴木拓也

数年前に屋久島の山峰を目指したとき、道に迷って遭難しかけ、ヒルに血を吸われ、低い崖から滑り落ちて上がるのに難儀した。
ロクに登山の知識もないまま登るとどうなるか。下山して、仲間に悪い見本をさらしたが、自分としては、「辛いからこその山登り」と妙な充実感があった。
登山について、これと似た心理を持つ人は少なくないようだ。文字どおり高みを目指し、体力・気力の限界に挑む。そうして山頂に立ったときの達成感を味わう。下界に帰っても興奮をおさえきれず、周囲に「登山マウンティング」してしまったり……。
そんな苦行めいた登山のあり方に一石を投じたのは、ジャーナリストの佐々木俊尚さん。
4月に刊行の著書『歩くを楽しむ、自然を味わう フラット登山』(かんき出版 https://kanki-pub.co.jp/pub/book/9784761278014/)のなかでは、登山の楽しさを再定義。フラットな山(低山)を、「ふらっと」した気分で登る、気楽なスタンスの山行だ。
400ページを超える大著で面食らったが、内容は平易でビギナーにもシニアにも優しい。今回はこの本を紹介しよう。
もう装備の選択で悩まない
気楽な登山と言っても、やはり最低限の装備は必要。その手引きとなる情報について、結構なページが割かれている。
例えば、登山靴。専門書だと、山・季節に応じた事細かな蘊蓄(うんちく)が説かれているが、本書は単純にして明快。次のように書かれている。
「片足重量三〇〇~四〇〇グラム台で、ゴアテックスなどを採用して防水性能のあるミドルカットの登山靴」(本書88pより)
なぜこのように言い切れるかについては、前後で説得力のある解説がなされており、しっかり納得のいく内容。もちろん、「ミドルカット」は何かについても説明があるので安心だ。
ウェアやバックパックといったその他の必需品や、荷物のパッキング術などにも言及されており、ここに書かれている内容を把握したら、登山の準備は6割方できたと思ってよい。
あえて「人が少ない場所を選ぶ」
装備を揃えたところで必要なのが、コース設定。
フラット登山は、山頂まで登りきることは目標にしていない。気持ちよく歩くことが優先されているからだ。コースを決めるにあたり、標高や季節は加味するが、安易にメジャーなコースを選んでしまって、登山客で混みあうような事態は避けたい。それだと登山の魅力は「十分の一ぐらいに減ってしまう」と、佐々木さんは記している。
そこで、工夫の一つとして挙げているのが、よく知られたメインルートをちょっと「ずらす」やり方。佐々木さんは、大菩薩嶺を例に挙げる。
ロッヂ長兵衛のメインルートの登山口とは別に、ロッジから下って行く登山道がある。このあまり踏まれていない登山道を下ると、大回りして、石丸峠というところを経由した別ルートで大菩薩峠に行くことができるのだ。メインルートが稜線まで標準コースタイム一時間一〇分ほどに対して、こっちのルートは二時間一〇分と一時間余計にかかる。そのかわりにひとけは少なく美しい森の中をたどって稜線へと向かうことができる。(本書198~199pより)
ただ、そこから山頂を目指してしまうと、結局は人いきれの道に合流する羽目になる。その意味でも、登頂にこだわらないのが大事というわけ。
そもそも、大菩薩嶺のような有名どころではなく、最初から人が少ない場所を選ぶという考え方もある。その一つに、環境省の「長距離自然歩道公式サイト」をチェックするというのがある。国が整備した総延長二八〇〇〇キロの道は歩きやすく、知名度も高くないので、フラット登山の候補を探すには好適。サイトは、グーグルマップとも連携しており、ルートも把握しやすいとのことで、佐々木さんは絶賛している。
異世界に来た気分を味わう
もう一つ、より重要な概念として佐々木さんが論じているのは、「官能的な山道」を選ぶというものだ。
定義としては、「異世界に迷い込んでいる」「広大で開放感がある」などの条件を満たした山とある。そうしたところへ行ってこそ、フラット登山は満喫できる体験になるという。
本書では、具体例が多数紹介されているが、その一つが「日本最強の異世界」とされる富士樹海だ。「自殺の名所」という印象が先立つ場所だが、実は東海自然歩道が貫いて整備されていて、歩きやすいところだという。おまけに、その入口まではバスで行ける。バス停で降り、しばらく歩くと異世界にたどり着く。
デコボコの岩と、その上をくねるように這い回る樹木の根、さらにその上に苔がびっしりと生えて、いったいどこに地面がありどこに穴が開いているのかは容易にわからない。いったん道から外れて入り込むと、歩くのも非常に厄介である。(本書272pより)
このほか、鎌倉と横浜をまたぐ山道「ビートルズトレイル」や、千葉の九十九里浜など大都市圏に近接したところに、意外な穴場があって面白い。「九十九里浜が山なのか?」と思われたかもしれないが、砂浜を少し離れ、太東埼灯台の界隈を上がれば、ちょっとした登山気分を味わえる。何より、人気がなく開放感がある地形をずっと歩き続ける爽快感は、まさにフラット登山の醍醐味。
もし、「登山に興味があるけれど、ハードルが高い」と思っているなら、本書はとても役立つガイドブックとなる。ぜひ一読されたい。
【今日の趣味力を高める1冊】
『歩くを楽しむ、自然を味わう フラット登山』

定価2420円
かんき出版
文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。
