文・絵/牧野良幸

映画監督の篠田正浩さんが3月に亡くなられた。94歳だった。

篠田監督は1960年に松竹で監督デビュー。大島渚、吉田喜重と並んで“松竹ヌーベル・バーグ”と称された。『心中天網島』『はなれ瞽女おりん』『瀬戸内少年野球団』『写楽』『スパイ・ゾルゲ』など、長年にわたって作品を発表。多くの名作を残している。

そこで今回は篠田監督の代表作としてあげられる『心中天網島』を取り上げたい。1969年(昭和44年)公開の作品で、原作は近松門左衛門の『心中天網島』である。ちなみに読み方は「しんじゅうてんのあみじま」。

この作品は篠田監督が作ったプロダクションである表現社とATGによる制作である。低予算の映画であるが、実験的な演出やセットが映画の魅力になっている。

例えばオープニング・クレジットに使われる映像は、人形浄瑠璃の稽古風景や舞台裏の様子だ。人形遣いが人形の動きを確かめたりしている。

その映像に篠田監督の音声が重なる。電話で話している声で、相手は脚色を担当している富岡多恵子のようである(脚色は篠田監督、武満徹も担当)。

篠田監督は富岡に仕事の進行具合をたずねたあと、ある場面の撮影についてアイデアを話す。監督の肉声を作品に使ってしまう映画表現は斬新だ。

ただ冒頭から前衛的な手法で始まると、身構えてしまうところも正直ある。このあとの本編はどうだろうか。

本編はスタジオのセットとロケの両方だが、どちらも黒子が出てくるところがやはり前衛的。黒子は登場人物の手助けや、セットを片付けたりとよく働く。またじっと登場人物を見つめていたり、そばで聞き耳を立てていたりして存在感がある。

曽根崎の遊郭、紀伊国屋に遊女の小春(岩下志麻)と治兵衛(中村吉右衛門)がいる。白塗りの顔の岩下志麻が美しい(書き忘れたがこれは白黒映画である)。

当時、岩下志麻は篠田監督と結婚していたが、小春はまだ幼さも感じるほどの若さで、声の調子を上げた話し方だ。

紙屋を営む治兵衛は妻子がありながら紀伊國屋に通い、小春と身請けを約束する仲になっていた。しかし、まだできないでいる。

すねる小春となだめる治兵衛。会話は大阪弁で歌舞伎のようだが、中村吉右衛門と岩下志麻のやりとりに引き込まれ、開始早々で近松門左衛門の世界に没入してしまう。

「治兵衛さん、死にたい。どないしたらええ?」

「ああ、小春」

治兵衛は小春の体を求める。一応ベッドシーンであるが布団はないし、上からのカメラが床に大きく描かれた浮世絵も映すので即物的である。が、それがかえってエロティシズムを浮き彫りにしている気がする。

治兵衛と小春は一緒になれなければ、心中しようと決めている。だが二人の仲を裂こうとする者もいた。

「金でできぬことは、この世にはないわ」と言ってはばからない金持ちの太兵衛(小松方正)が小春を横取りしようと身請けを申し込む。

また治兵衛の兄である孫右衛門が、侍に変装してやって来て、小春に治兵衛と別れてくれと頼む。

そして治兵衛の妻おさん(岩下志麻・二役)。おさんも二人の仲を憂慮していた。

おさんも岩下志麻が演じているが、華やかな小春とは対照的だ。話し方は普通の会話風である。声質も小春より低い。眉を剃りお歯黒を塗っているので、いかにも商売人の女房という感じ。丁稚を叱る口調は『極道の妻たち』での組長の妻を連想させる。

映画を巻き戻して説明すると、おさんは夫が小春と心中するのではないかと憂慮して、小春にどうか夫の命を助けてくれと頼む手紙を送っていた。これが小春の心を動かし、治兵衛と小春の喧嘩別れにつながる。

治兵衛と小春が別れたことで、おさんは胸をなでおろすが、そこに小春が太兵衛の身請けを受けた話が舞い込む。おさんは正気を失って

「えらいことになった。小春は死ぬかもしれん。どうしよう!?」

そこで初めて小春に手紙を送ったことを治兵衛に告白するのである。小春は「女の義理」で好きな男を諦めたが、治兵衛を愛していることは変わらない。小春が身請けを受けたのは死ぬ気だからだ。

おさんと治兵衛が小春の身請けのための金を作ろうとするシーンは白熱だが、さらに話は急展開。おさんの父親が出てきて、無理やりおさんを実家に連れ戻してしまう。縁を切られた治兵衛は小春と逃げる。

夜の墓地、治兵衛と小春が抱き合っている。暗闇に浮かぶ石塔はいかにも年季が入っていて、すごいセットだなあと思いきや、なんと本当の墓地での撮影だそうだ。

実はオープニングで篠田監督が富岡多恵子に話す撮影のアイデアは、この墓場のシーンで、富岡にこう説明していた。

「空間のフェティシズムの中にね、生々しい男と女を放り込んだコントラストの面白さがありそうな気がするんですよね」

その言葉どおりのシーンになったと思う。治兵衛と小春はすでに死んでいて、冥界で愛し合っているのではないかと思うほどである。

が、夜明けが二人を現実に引き戻す。二人は心中の場へ向かうのだった。

最初は若い娘風だった小春が道行の場面では髪は乱れ、声の調子も強くなる。岩下志麻の一人二役だから当然なのだが、顔もおさんに似てきて、小春とおさんは一心同体ではないかと思ってみたりもした。岩下志麻を一人二役で起用した篠田監督の狙いは成功していると思う。

篠田監督の細密な演出が盛り込まれた『心中天網島』。よかったらご覧ください。

【今日の面白すぎる日本映画】
『心中天網島』
1969年
上映時間:103分
監督:篠田正浩
脚本:富岡多恵子、武満徹、篠田正浩
原作:近松門左衛門
出演者:中村吉右衛門、岩下志麻、ほか
音楽:武満徹

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。
ホームページ https://mackie.jp/

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