将軍家治(演・眞島秀和)の日光社参行列。
(C)NHK

ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)第11回なのですが、まずは「江戸城パート」の話題から入りたいと思います。将軍徳川家治(演・眞島秀和)による日光社参です。日光社参とは、ざっくりいえば初代将軍徳川家康のお墓参り。将軍位の継承を示す儀式の側面もあるのかなと思ったりもしますが、2代目秀忠以降14人の歴代将軍で日光社参を挙行したのは、2代秀忠、3代家光、4代家綱、8代吉宗、今回の10代家治、12代家慶ということになっています。

編集者A(以下A):家康は、東照大権現としてすでに神格化されていました。「生まれながらの将軍」3代家光はなんと10回もお参りしています。4代家綱の社参以降、8代吉宗までは65年もの間、将軍の社参がない時期もありました。『べらぼう』で描かれたのは48年ぶりの社参になります。

I:蛇足ですが、5代将軍綱吉は、日光社参こそしていませんが、戦国時代に焼失していた東大寺大仏殿の再建を幕府の事業として取り組むなど、寺社の再建、復興には尽力していたんですよね。でもよくよく考えると日光社参は、ずいぶんと壮大なお墓参りになるのですね。

A:吉宗の社参が顕著かと思われます。将軍家の嫡流が絶えて、御三家紀州藩から吉宗が将軍に就任しました。御三家筆頭の尾張藩でもなく、紀州藩の三男坊で母親が湯殿番という吉宗ですから、傍流と言えば傍流。家康の廟所を壮大にお参りすることで、正統な将軍継承者であることを誇示したいという思いもあったのかなと思います。将軍就任から10年以上経過しての満を持しての日光社参ですからね。

I:家治の社参も吉宗社参以上の総数約23万人が供奉し、行列の先頭が日光に入ったときに最後尾はまだ江戸城だったという「ほんとうに?」というエピソードも伝えられています。

A:江戸城から日光まではおよそ160kmあります。関東以外の人には距離感がわからないと思われますので、中世に天皇、上皇が頻繁にお参りした熊野詣と比較しますと、京都から熊野本宮大社まではざっくりと180km。江戸から日光までの160kmとそんなに変わらない距離になります。

I:少し脱線しますが、来年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で登場すると思われる秀吉の中国大返し(備中高松城~京都)はおよそ210km。箱根駅伝の大手町から芦ノ湖のゴール地点までは107.5km。熱田神宮から伊勢神宮までの全日本大学駅伝は約106.8kmです。

A:社参は規模が大きいだけに、日光御成道沿いの村々からは人足が徴収されるなどたいへんだったようです。江戸城から4日間の行程だったそうですが、現在の埼玉県川口市にある錫杖寺(しゃくじょうじ)で昼食をとるのがお約束で、初日は岩槻城に宿泊、利根川をわたって2泊目は古河城に宿泊。3泊目に宇都宮城に宿泊で、4日目に日光に入ったそうです。

I:供奉した20万人以上の人たちの宿泊はどうなっていたのか、道中の食事はだれがつくっていたのか、興味は尽きません。俗に日光御成道と称される街道が整備されたのが3代家光の時代だそうですね。将軍の「旅行」といえば上洛もありましたが、上洛したのは家康、秀忠、家光の3代と14代将軍家茂のみです。幕末には、孝明天皇の妹宮にあたる和宮の関東下向が中山道をルートとして家茂に降嫁しています。

A:なにはともあれ、田沼意次(演・渡辺謙)にとっては頭の痛い問題だったと思います。自身の権力基盤は、将軍からの寵愛ですから、家治の意向に反することはできないですからね。

アイドルの元祖? 美声の持ち主。次ページに続きます

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