はじめに-徳川家基とはどのような人物だったのか
徳川家基(いえもと)は江戸幕府10代将軍徳川家治の長男として生まれ、将来を嘱望された人物です。しかし、18歳という若さで急逝したため、「家」の通字を授けられながらも唯一将軍職に就けなかった「幻の11代将軍」として知られています。
そんな徳川家基ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、文武両道で政治への関心が高く、田沼意次の政策を批判する人物(演:奥 智哉)として描かれます。
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目次
はじめに-徳川家基とはどのような人物だったのか
徳川家基が生きた時代
徳川家基の生涯と主な出来事
まとめ
徳川家基が生きた時代
家基が生きた18年間は、10代将軍・家治の治世であり、田沼意次が実権を握る「田沼時代」と呼ばれる時期にあたります。この時代は経済政策が活発化し、商業や文化の発展が見られましたが、一方で政治の腐敗や社会不安も進行していました。
家基はそのような時代において将軍後継者として期待されていたのです。
徳川家基の生涯と主な出来事
徳川家基は宝暦12年(1762)に生まれ、安永8年(1779)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
家基の誕生とその背景
家基は、宝暦12年(1762)10月25日に江戸幕府10代将軍・徳川家治と側室の知保の方(ちほのかた ※「お智保の方」と表記する場合もあります)の子として誕生しました。
母・知保の方は津田宇右衛門信成の娘で、伊奈忠宥(ただおき)の養女です。宝暦11年(1761)家治付の中臈(ちゅうろう、幕府の大奥に仕えた女中)となり、翌年に家基を生みました。
聡明で文武両道に秀でた家基は、家臣や幕臣から次期将軍としての期待を集めていたそうです。明和6年(1769)には、家治の後継者として、江戸城西の丸に入ります。
しかし、安永8年(1779)わずか18歳でこの世を去ることに……。
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【将軍継承の行方と家基の死。次ページに続きます】
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